日本におけるパン産業の確立
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1701 青木 佳奈子
指導教員 青柳 由紀江
“Bread is the staff of life.”これは「パンは生命の糧」という意味である。まさに、パンが主食であることを示し、欧米圏でのパンの存在の重要度が覗える言葉である。日本においても、パンが主食としての地位を獲得したことが、パン産業確立への原動力となったと考えられる。本論文ではパンの主食への道を辿ることで、パン産業の誕生から成長、そして確立への道を見出すことを目的とした。
千数百年の間、米をほとんど唯一の主食としてきた日本人の食生活の中で、パンは「珍奇食の時代」、「嗜好食の時代」、「代用食の時代」を経て、百数十年という急速な早さで米と並ぶ「もう一つの主食」としてその座を確立した。そしてその経過とともにパン産業も発展してきたのである。
日本に伝来して以来「珍奇食」であったパンが、画期的な菓子パン、木村屋あんパンの登場により「嗜好食」となり、また兵糧・米代用品としての利用により「代用食」となる。そして学校給食での採用によってパンは、人々に三食のうちの一食、「主食」として認知されるようになる。こうして、「菓子パン」、「兵食パン」、「給食パン」は、パンの普及を促し、パン産業誕生の契機となったのである。
また、パン種「イースト」の登場は、日本の製パンを劇的に進歩させ、更に海外からの製パン技術の導入は、日本の製パン法と製パン工程を飛躍的に向上させて、製パン工場の機械化と共にパン供給形態の近代化を推進し、パン産業の成長に寄与した。その後オーブンフレッシュベーカリーが出現し、パン小売店の進化と共にパンの高品質化・多様化を実現させると、パンはますます人々を魅了し、パン食が人々の食生活へと浸透していくことで、パン産業の確立を決定付けたのである。
2002年、製パン技能者の世界大会"Coupe du Monde"(クープ・ドゥ・モンド)で日本チームが総合第一位に輝き、日本のパンが品質上でも製パン技術上でも、世界のパンと同等レベルにまで達していることを内外に示した。高品質と確かな技術に支えられ、日本のパン消費量は、著しく減少している米とは対照的に順調に増加しており、今や米と並ぶ「主食」となったことが明白となっている。
パン産業の発展にはパンが主食の地位を維持することが不可欠であり、現在業界では、商品開発、販売チャネルの開拓、製パン技術等で新たな試みが始まっている。今後の課題は、消費者志向における「安全」、「健康」、「家庭」にあると考えられる。すなわち、絶対とされる食品としての「安全」性を基盤に、「健康」志向を意識した商品開発、広範な販売チャネルの先にある「家庭」での焼きたてパンの提供等が、パン業界を更なる飛躍へ導くと言えよう。
日本自動車産業の海外進出
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1702 石橋 三恵
指導教員 真壁 哲夫
ホンダの創業者本田宗一郎は「町工場の時から世界のホンダを宣言」していた、という伝説がある。宗一郎は、意欲と情熱をもって、世界のホンダを目指し、「オートバイで世界のホンダ」となり、やがて、オードバイだけではなく、車でも世界のホンダを目指した。
排ガスの少ないエンジンつまりCVCCエンジンの独自の開発をしたのは、米国で1970年に、従来の大気清浄法を大幅に修正した法律、マスキー法の成立した時であった。世界中の自動車メーカーは、この規制内容を達成することはほとんど不可能であると主張した中で、ホンダは初めてクリアし、世界をアッといわせた。
さらに1973年には、原油価格の急激な高騰(石油危機)が起こり、米国では、燃費の悪いビッグスリーの大型車を捨て、性能のいい日本車に乗り換えることとなった。ホンダの車は上記環境規制適合車でもあり、燃費効率もいいことから、より販売が好調となった。
しかし、以上の環境規制、石油危機から、米国で日本車が売れるようになった結果、貿易摩擦が日米間で発生してきた。米国での日本車シェアが上昇し、アメリカ自動車産業での失業者が増大した結果、日本車輸入制限の動きが出てきたのである。
とくに第2次石油危機が起こり、日本車がビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)を脅かす存在になったため、輸入制限の動きが本格化した。
ホンダは、この輸入制限によって、日本に残って規模を縮小するか、米に進出して現地生産するべきか、という2つの選択肢に追い込まれた。
現地生産は部品の問題、労働の質の問題、生産コストの高さなど多くの問題を解決せねばならなかった。このため、深刻に悩んだものの、『需要のある所で生産する』という、ホンダの経営思想に立ち返って現地生産の道を選ぶことになった。
課題克服の方策として、ホンダは、現地主義にたって、部品の安定調達、従業員の習熟訓練といった海外で生産活動を行うためのノウハウを蓄積していった。
米国製の自動車はすぐに故障すると言われた時代だけに日本の工場と同等以上の品質を確保することが最優先課題となった。採用した従業員に徹底してホンダイズムを説き、幹部も従業員も同じカフェテリアで食事を取るなど、現地従業員とホンダイズムを共有する人事政策、チーム・ワーク作りを優先する日本流の工場運営手法をとった。そして、部品の現地調達の拡大などにも努めたのだった。
こうした努力の結果、米国ホンダの生産は1982年の968台から2002年には68万台まで急拡大し、1987年からは日本をはじめ米国外に輸出するまでに至っている。この意味で米国進出は大成功に終わったのである。
現代社会におけるクレジット契約の位置付け
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1703 井上 美由紀
指導教員 甲斐 聡
近年、自己破産者が増大し、2002年の自己破産申立件数は22万6千件を超えていて、破産予備軍と言われる多重債務者は200万人を超えると言われている。自己破産者が増大した背景として、キャッシュレス社会の到来、手元に現金がなくても商品を購入することができるクレジットカードの普及で、高額であってもカードだと感覚がわからなくなり、どんどん買えてしまう。そこで、自己破産者が増大した背景の一つとしての、クレジットカードを取り上げる。クレジットに関しては、民事法上の問題である抗弁権の接続と所有権留保、刑事法上の問題である詐欺罪がポイントとなる。
本論文では、ここまでクレジットカードが普及した歴史を述べ、割賦販売法での取引の種類や、これらについての規制、不正使用とクレジット犯罪などを中心に論じられている。
民事法上の問題では、消費者保護で抗弁権の接続ができるようになる前は、販売店の倒産などの理由で商品を受け取れなかった消費者は、商品を受け取っていないにも拘らず信販会社に割賦代金を支払い続けねばならないという状態が続き、消費者にとり衡平でないから、割賦購入あっせん業者に支払請求を拒絶できる抗弁権の接続ができるようになった。これによって、クレジットカードを気軽に持てるようになったのではないかと思われる。
更に所有権留保により、商品の所有権は代金完済までは信販会社にあることになり、それに対し、カード会社は1ヶ月ごとの決済だからそのタイムロスを狙って転売するケースがあり、その場合刑事法上の問題として、他人のものを売ることになるから、犯罪行為にみなされることもあり、詐欺か横領になると思われる。また、支払意思のないカードの使用で、私は加盟店に対する関係で詐欺罪を肯定する見解だと考える。信販会社に対してその立替払金などを支払う意思も能力もまったくなかったのに、クレジットカードを使用した以上、加盟店に対する関係で、カード使用、呈示自体がこれをあるように仮装した欺罔行為と認めるのが相当であり、その事情を知らない加盟店から財物の交付もしくは財産上の利益を得た行為は、詐欺罪に当たると言わなければならない。
また、クレジットカードで生活が便利になる反面、このように様々な問題が発生するということは、個人情報が簡単に他人の手に渡る、あるいは盗み取られるということを意味している。新しくできた平成15年施行の個人情報保護法によって、これらの法的保護が可能かどうかは今後の問題となろう。
前に述べたように、クレジットカードは現金なしに買える気安さから、支払能力以上の買い物をする多重債務や自己破産をしてしまうので、そうならないために、消費者教育を成人になってから知るのではなく、中学・高校から学んだ方が良いと思われる。更に信販会社で相談窓口を設けて消費者と一緒に問題解決をするように、返済するための道を導いているので、自己破産だけではないと知っておくことが重要だと考えられる。
安定か成長かジレンマに陥るユーロの安定成長協定
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1704 小松澤 恵利
指導教員 村瀬 満男
欧州経済の低迷が続く中、1997年6月にアムステルダム条約に盛り込まれ欧州連合(EU)の安定成長協定への批判が強まっている。通貨統合に際して、ドイツがマルクを捨て、ユーロに参加するためには、マルクに執着する国民に対して、ユーロはマルク並みに強い通貨と説得する必要があった。そのためにも安定成長協定を締結し、ユーロへ参加した各国に財政赤字は国内総生産(GDP)の3%以下に抑え、やがては0%すなわち均衡財政を義務付けようと狙ったものである。
加盟国の財政赤字が続けば、ユーロに対する信認が揺るぎかねないと考えたからだ。ユーロに参加する地中海諸国つまり、イタリア、スペイン、ポルトガルなどは財政赤字を垂れ流したまま、インフレを招いていたという過去があった。こんな国の通貨と一緒になったらユーロの足は引っ張られ、マルク並みに強い通貨とは程遠い、そんなドイツの思いからだった。
だから、同協定を提案する前には、こうした地中海諸国のユーロ参加を阻止しようとさえ考えた。ドイツ、それに経済の体質改善に成功したフランス、ドイツ並みの経済体質を誇るオランダなど、EUのコア諸国だけで通貨統合を先行させ、地中海諸国は経済体質を改善したら加盟を認めるという二段階の通貨統合である。
二流国扱いされた地中海諸国の抵抗もあり、これを強行すればEUの団結にひびが入るなどの政治的理由から、こうした構想を引っ込め、かわって安定成長協定を提案したのである。
ユーロ発足当初は、安定成長協定は守られていたものの、おりからの景気落ち込みもあって、2001年に地中海諸国のポルトガルの財政赤字がGDP4.3%と違反第一号となったが、翌2002年には2.7%に戻った。第二号は、提案国のドイツである。2002年に3.6%となり、三年連続の協定違反であり、第三号のフランスも同じような状態である。協定を守らせるEU委員会は、警告を発するとともに、協定に従って制裁措置を発動しようと2003年11月の蔵相理事会に提案した。ところが、オランダなどの反対を押し切って、ドイツとフランス主導で制裁措置の凍結を決めた。その翌日、ユーロが発足以来の最高値をつけるなど、ユーロの信認は揺るがなかった。いや、ユーロ域経済の5割を占めるドイツ、フランス両国の景気回復の芽をつまなかったとの評価だった。そうならば、安定成長協定の意味はなんだったのか。インフレ警戒の中でできた安定成長協定は、世界的なデフレ懸念の中でどうするのか。
制裁見送りに「大国の横暴」との批判は強まり、2003年12月14日に開かれた首脳会議でEU憲法案は、中小国の抵抗で否決された。これを受けて、ドイツ、フランスを軸としたコア諸国だけで憲法制定、先行するという統合二段階論が再び浮上している。
電子自治体の研究
―電子政府の構築と現状―
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 001705 高橋 祐美子
指導教員 五藤 寿樹
本論では、電子自治体の登場とその現状について記述している。
研究の背景としては、近年インターネットが普及することにより、e-Businessが進展するとともに、新しいビジネスチャンスや様々なチャンネルが拡大している。その類型として行政においてもe-Governmentと呼ばれる行政サービスが登場し、住民等への新たなチャンネルが確立しようとしており、行政サービスにおいてもインターネットの利用は欠かせない状況になってきている。このようなことから、日本のみならず、世界中で電子政府の構築が盛んになっているのである。
研究目的としては、行政においてますます重要になると思われる電子政府の概要を調べるとともに、海外の電子政府先進国について、また日本における電子政府、さらに電子自治体の状況を研究することである。そして電子化することで起こる新たな問題、電子自治体におけるリスク管理についても研究した。
第1章では、急速にインターネットが普及した為に構築された電子政府の概要及び、電子政府先進国であるアメリカとシンガポールを海外における事例として記述した。
第2章では、日本における電子政府実現への動きと電子自治体における行政サービスがそれぞれの地域が連携しながら進展していく動きについて記述した。
第3章では、横須賀市の電子入札システム導入、大和市の市民参加システム「どこでもコミュニティ」の開発、市川市の24時間365日、常に行政サービスを提供するという「360+5情報サポート」など電子自治体の状況を記述した。
第4章では、電子化にすることで起こる新たな問題、個人情報の情報流出の現状と対策等セキュリティーに関する電子自治体におけるリスク管理について記述した。
研究成果として、アメリカの電子政府はヤングレポートやPPP(Public Private Partnership=官民協働/パートナーシップ)の原則にあるように、電子化における官民の協力体制が十分にとれていて、政府が民間企業の活動の妨げにならないよう配慮されている。シンガポールにおいてはもともと国土的にも天然資源が乏しかった為に、情報技術を国家の産業競争力の核として育成するなど、政府のIT産業に対する積極的な姿勢があった。それに比べ、日本はアメリカのように必ずしも協力体制が十分にとれているとはいえなく、シンガポールのように政府がITに関して積極的な理解があるとは思えない。
その理由として日本の国の体制に問題があるのではと思われる。特に官の保守的な考えからITに関して遅れているのではないかと考える。しかし、そのような環境の中でも少しずつIT化は行われてきており筆者のインターンシップ先である市川市は情報セキュリティマネジメントシステムの国際的な標準規格である「BS7799-2:2002」と国内標準規格である「ISMS Ver.2.0適合性評価制度」の認証を取得した。まだ市川市の事務内容まで完全にIT化されているわけではないのだが、「360+5情報サポート」のように少しずつではあるが着々とIT化は進んでいるのは見受けられるといえる。
死刑制度論
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1706 長田 京子
指導教員 斎藤 静敬
第1章では、死刑執行方法として6種類の刑を挙げたが、執行方法は国によって制限されていることがわかった。絞首刑はアメリカと日本が主に採用しているのである。電気椅子処刑、致死薬注射刑はアメリカのみの採用となっているのである。死刑の根は、古い時代と深い心理の層にあり、その頃からの進化で現在の処刑具が存在するのである。「処刑者に苦痛を与えぬように、人道的な方法で処刑できるものを」として産み出されるものがほとんどであった。
第2章では、アメリカ、イギリス、フランス、日本による死刑の歴史、執行、動向や判例を論述した。
アメリカで忘れてはならないのは、死刑存置州と廃止州とが入り乱れていることである。執行方法も州によりそれぞれ採用方法が異なっているのである。全体的には、やはり一番最後に登場した致死薬注射刑の採用が多くなっている。しかし、自由の国アメリカでも、死刑に対する議論は続いており廃止の傾向にあるのである。
イギリスにおいては、死刑を廃止するまでに非常に長い年月を費やしたことが挙げられるのである。ヘンリー8世の時代から、まことに多くの人々を処刑してきたイギリスも「死刑を維持しなくとも法秩序は維持できる」として1969年12月16日に死刑永久廃止法案が可決されたのである。
フランスにおいては、フランス革命初期、憲法議会が初めて死刑問題を論じたのである。年々、議論を重ねるに至り死刑に該当する犯罪の種類を減じていき、1981年10月10日、死刑廃止法を発効した。イギリス同様に、フランスも死刑廃止に至るまで、非常に長い日々であった。死刑廃止法の成立により、約190年に渡ったギロチンの歴史に終止符が打たれ、ヨーロッパで死刑制度を維持している国は事実上なくなったのである。
日本にとっても、死刑の歴史は古く、卑弥呼の時代にまでさかのぼることができるのだ。大きな動きは明治に入ってからである。公開処刑から非公開処刑へと切り替えたのだ。1870年から72年にかけて、毎年1000名以上が処刑されていたのである。1928年の改正で、最高刑は死刑に改められたのである。現在我が国の法においては、17種の犯罪について死刑が規定されているのである。罪種としては、強盗殺人や殺人に死刑宣告が集中しているのである。
第3章では、死刑存置論・死刑廃止論を各論者の視点から論述した。死刑を存置する理由として、死刑には犯罪を威嚇(抑止)する力があるということ、犯罪者に対しての阻止的な要素となることなどが挙げられるのである。死刑を廃止する理由としては、今日の死刑制度は、被害者救済方法につながらないこと、誤判の可能性、命の重さをわからない犯罪者にとって、死刑は威嚇力にはならないことなどが、挙げられるのである。
現在、全世界では死刑廃止の方向に向かっているのである。完全に死刑を廃止した国が多い中、わが日本ではいまだ死刑を定めているのである。今後、世の中の複雑化に伴って、犯罪の性質も多様化するであろう。死刑制度が存在していても、不都合がないからと関係ないと考える人もいる。しかし、犯罪は決してなくならない、社会の現象の1つである。全国民が死刑をもっと身近に感じ、深く考えなければならない時期に来ているのではないだろうか。
女性犯罪について
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1707 本村 幸代
指導教員 斎藤 静敬
女性犯罪には、質的特性・稀少性との2つの特色がある。
質的特性では、一番目立っているのは「窃盗」であり、その犯行現場としてはやはり女性利用客の多いスーパーマーケットである。他に、殺人では犯行方法も女性犯罪の特徴を表している。男性の場合、その方法は暴力的であるが女性の場合は薬物や睡眠中を狙うなどといった方法が多く見られる。これは、女性と男性の体力の違いを表しているのである。そして、その犯行は特に自分と密接な関係のある人間に対して行われている。
女性は、もちろん単独で犯罪を犯すが中には男性犯罪者の共犯や影で操られたりするなど、いわば「加害者であると同時に被害者」といった立場になることも少なくないのである。2つ目の稀少性であるが、この理由としては、刑事司法過程での取り調べが寛大であることが挙げられている。女性に対する起訴率は30%から40%、それに対して男性の場合60%と女性の場合は起訴される者がすくないのである。殺人を行ったときには刑の執行猶予も70%と高率になっており、これは殺人を行った被害者が家庭内などといったものが多いことを考慮していることが示されている。
女性の社会進出とともに犯罪の増加もみられるのかということについてだが、今まで専業主婦が多かったが、近年では女性も多く社会に進出している。これによって家庭内での犯行が主だった今までとは変わり女性の行動範囲が広がるということは、同時に犯罪範囲も広がり犯罪が増加してしまう可能性も否定できないのである。このことについては、これから更に調査していく必要がある。
次に、罪を犯したのちの受刑者の処遇についてであるが、女性受刑者を収容する施設は全国に6施設ある。しかし、いずれも300名前後を収容する小規模な施設である。この女性受刑者の収容所は、男性受刑者の施設より一般社会の住居に近い雰囲気がつくられていたり、調度品についても家庭的なものが用意されているなど比較的開放的な雰囲気がだされている。職業訓練に関しても多種目にわたって実施されている。
しかし、その反面いくつか問題点も内在している。前述している通り女性受刑者を収容する施設が少ないということで、あらゆる罪種の犯罪者が同一の施設に収容されてしまいこれによって初犯者などは改善されるより犯罪性の感染機会をもってしまうこと、施設が少ないということは女性受刑者が住居から遠く離れた施設に収容されることにもなり、家族の訪問にも不便をもたらす。これらのことは、受刑者の社会復帰への意欲をなくしてしまう要因にもなってしまうのであるが、この他にも女性特有の問題として乳幼児を抱えた受刑者の問題や作業賞与金額の低額問題などがあるのである。このことから、今後の課題としては、収容所の数を増やし地域的に細分化・多様化することと、作業賞与を時代感覚に合わせ、受刑者の勤労意欲を無くさせないような対策など必要とされているのである。
ポジティブ・アクションについての研究
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1802 大森 摂子
指導教員 早坂 明彦
男女労働者が職業生活と家庭生活を両立できるための環境をつくることは、社会で取組むべき大きな問題であると考える。また、企業経営にとっても、経済社会環境の変化への的確な対応は、最も重要かつ不可欠な課題となっている。様々な状況の変化が想定される中で、真に女性の能力を活用できるか否かは、企業の競争力にも大きな影響を与える要因になると考えられる。そこで、女性の能力発揮を促進し、その有効な活用を図るための、ポジティブ・アクション(positive action)を研究のテーマとした。
固定的な性別による役割分担意識や過去の経緯から、男女労働者の間に事実上生じている差があるとき、それを解消しようと企業が行う自主的かつ積極的な取組をポジティブ・アクションというのである。
日本にポジティブ・アクションが登場した背景には、長年に渡る国連や I L Oの女性地位向上のための取組みがあり、国連の第4回世界女性会議(1995年)の行動綱領を受けて、日本において男女参画2000年プランが策定(1996年)された。そのプランに参画社会に必要な事柄として盛り込まれ、ポジティブ・アクションの登場となったのである。現在ポジティブ・アクションはどの程度認知され取組まれているのか、取組みの現状を東京都産業労働局が行った「男女雇用平等参画状況調査(2001年)」を取上げ、各企業の取組み状況を把握し、現状からこれからの課題などを考えていくこととした。
また、諸外国とポジティブ・アクションについての比較を行った。法制については、アメリカの行政命令11246号(1965年)、イギリスの性差別禁止法(1975年)について、また、NPOについてはCatalyst(アメリカ)、Opportunity Now(イギリス)、Women's Initiative(日本)の主な活動について比較し、見ていくこととした。
厚生労働省女性の活躍推進協議会が2002年に発表した、ポジティブ・アクションの必要性とその効果について、また、具体的にどのように取組めばよいのかについては、「ポジティブ・アクションの女性労働者、能力発揮促進のための企業の自主的な取組みに関するガイドライン」を中心に見ていくこととする。また、ポジティブ・アクションを実際に取組んだ企業の事例について紹介することとした。
企業において女性の能力発揮を考え積極的な措置を取る動きは今、僅かながらではあるが徐々に広がりを見せている。これからのポジティブ・アクションの推進を期待したい。
職場における男女差別
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1805 小林 清香
指導教員 金井 正元
(はじめに)
男女雇用機会均等法の施行から17年余、改正男女雇用機会均等法の施行から4年余が経過したが、雇用の場における男女間格差は、是正されつつあるものの未だに存在している。これから雇用の場に就く私達にとって、職場で女性がどんな立場にあるかを理解することが重要であり、少しでも男女差別がなくなるよう努力することが私達の課題でもある。
(第1章 労働基準法)
労働基準法では、労働条件一般について差別的取扱いを禁止する第3条(均等待遇)では、性別による差別的取扱いの禁止について触れていないが、判例(最高裁昭和56年日産自動車事件判決など)によって、性別による不合理な差別的取扱いは公序(民法90条)違反として無効であるという法理が形成・発展されてきている。他方、労働基準法では、賃金だけについては、第4条(男女同一賃金の原則)で、女性であることを理由とする差別的取扱いの禁止を規定しており、裁判上で、さまざまな態様の賃金差別が問題とされてきている。
(第2章 男女雇用機会均等法の制定と改正)
1979年の国際連合における「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の採択などを背景として、1985年に男女雇用機会均等法が制定され、1986年4月から施行された。しかし、同法の内容は、「現状から遊離したものであってはならず……我が国の社会・経済の現状を十分踏まえたものとすることが必要」とする基本的な考え方に立つ漸進的なものにとどめられていた。
男女雇用機会均等法の施行後10年余を経て、「その後の我が国の社会経済情勢の進展を踏まえ、かつ、国際的な観点にも留意しつつ、……必要な法的整備を行う」という基本的な考え方に立つ、同法の改正が行われ、1999年4月から施行された。
(第3章 改正後の男女雇用機会均等法)
改正後の男女雇用機会均等法では、(1)募集・採用、配置・昇進についての努力義務規定の禁止規定化、(2)調停開始についての相手方の同意の不要化、(3)ポジティブ・アクションに関する規定の新設、(4)セクシュアル・ハラスメントに関する規定の新設、(4)違反企業名公表制度の新設などが行われている。
(第4章 改正男女雇用機会均等法の問題点)
男女雇用機会均等法の改正により、相当前進はしたが、まだ問題点はある、と指摘される。片面性(女性だけに適用される片面的な法律であること)、間接差別(基準が男女別になっていなくても、それを適用した結果、一方の性が排除されたり不利になること)、ポジティブアクションの規定・セクシュアルハラスメントの規定・違反に対する制裁措置・差別された者に対する救済措置が不十分であることなどである。
(おわりに)
職場における男女差別については、判例や男女雇用機会均等法の制定・改正によって、その是正が行われてきているが、まだ問題が残されている。男女雇用機会均等法はもちろんのこと、女性労働に直接・間接に関連する法律の一層の整備とその適切・効果的な運用等、課題への速やかな対応が求められると考える。
世界を覆うFTA
−試練の時を迎えた日本−
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1806 関根 知美
指導教員 村瀬 満男
近年、話題となっている貿易政策で自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)というのがある。連日FTAという文字が新聞紙面をにぎわしている。
FTAとは、二国間または多国間で関税撤廃を基本とする協定である。北米自由貿易協定(NAFTA)や東南アジア諸国連合(ASEAN)自由貿易協定(AFTA)などがそれである。FTAは加盟国間の関税など貿易障害を撤廃し、貿易を自由化する一方で、域外国に対してはそれぞれ独自の関税などを設ける。FTAは原則、最恵国関税のWTO規則に違反するものだが、一定の条件の下で認められており、近年のWTO交渉の長期化や、新ラウンドの失敗などからFTAでの地域統合が世界で結ばれるようになった。
FTAの先駆者はEUである。EUはFTAに対外共通関税を加えた関税同盟を完成させた。その上、単一市場、単一通貨へと拡大を続けている。アメリカは当初、EUのそうした地域統合に対し、批判的な態度を示していたが、EUの成功をみて、自らも米加自由貿易協定(CUSFTA)を結び、メキシコを新たに加え、NAFTAに進展させた。
こういった、世界のFTA締結の波に取り残されていたのがアジアであった。アジアではWTOの多角的貿易自由化を忠実に推進し、「FTAの空白地帯」とまで言われていたが、近年アジアでも積極的なFTA設立の動きが活発化してきている。タイやシンガポールは自由化に積極的で、AFTAでの多国間FTAに加え、二国間FTAを多数交渉中である。また、これまでどの国ともFTAを結んでいなかった中国までもが、日本より先行し、2010年にASEANとのFTA締結を目指し、その枠組み協定を2002年に結んだ。ASEAN・中国FTAは台風の目となりアジアのFTA設立への波をより一層盛り上げるであろう。
日本も、EUを筆頭に多くの先進国がFTAを結ぶようになってきたことへの対抗や、海外に進出した日本企業がFTAを結んでいないことによる不利益を受ける場合もみられることから、積極的にFTA交渉に取り組み始めた。
日本としては、2002年に初めてのFTAをシンガポールと結んだが、シンガポールは農業セクターがほとんどないため、2003年から本格的な交渉が始まったメキシコが農業の実質的な関税撤廃を伴う可能性のあるFTAとしては第一号となるであろう。日本は今後もASEAN、韓国、タイ、フィリピンなどとFTA締結に向け交渉を行い、将来的にはASEANプラス3(日本、中国、韓国)での東アジア自由貿易圏設立に向け方策が練られている。
世界がFTA締結に向けた動きが活発化している中で、日本は遅れをとっていると言えよう。日本企業は、メキシコに例をみるように、FTAを結んでいないため多額の経済損失を被っているのは事実である。FTAを結ぶことにより、加盟国間の貿易は活発化し、市場拡大などにより経済的効果が見込まれる一方で、自由化により失業者の増加などの問題も生じている。また、域内国には低関税で、域外国に対し破格の高関税を課した,第二次世界大戦前の大英帝国特恵のようなブロック経済化の懸念もある。FTA旋風を手放しで歓迎するだけでなく、WTOでの多角的自由貿易にFTAをどう生かすか、世界の力量が問われている。
21世紀の農業ビジネス
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1808 沼田 恵理
指導教員 島田 薫
はじめに
農業というテーマを取り上げた理由は、家業が農家であった事により、農業が日々の生活であったことである。近代農業への歴史や農業の現状、そして農業の未来を見つめることは日本人の食生活に対する世界を知るだけでなく、これからは農業が女性の新しいビジネスを誕生させるものとなっている。そして、変化する農業の未来を考察するものである。
第1章 近代農業への歴史
日本の農業の発祥は、縄文時代から弥生時代にかけて水田稲作が始めて伝来したものであり、自然条件の変化を受けて今日の農業に至ったのである。そして、市場経済の普及の中で、米が「交換の代価」として強く求められ日本列島に広がったのであった。やがて鎖国を経て市場経済の反動により国際化が進み、農産物の輸出入・人口の増加と米の消費の増加に進んだ。そして、資本主義社会へと変化したことにより農業が新しい形となってゆく。経済全体の近代化や工業化の影響を受け農業・農家自体も近代工業化の波に洗われ、米の消費は一層増加した。また、農地改革は農業における規制や保護を大幅に変え、また新しい肥料や農薬が生まれ、農業機械の導入が進み、「農業の工業化」と呼ばれるほどの進展を遂げた。最近では日本の国民の食生活は大きく変わり、農業生産者は需要者側のニーズに応えた農産物を生産しなければならない時代がやってきた。
第2章 日本の農業を支える農業協同組合
協同組合組織が最初に生まれたのは、イギリスであった。その後、ドイツへ波及し、そして日本へと協同組合の考えが広まったのである。日本においては、生糸の生産と販売を進めるため、問屋商人が参加した合同の生糸販売組合として1877年(明治11年)群馬県で日本の協同組合のさきがけとなった碓氷社が設立された。1992年4月から新しい農業協同組合(農協)のイメージを象徴する愛称として現在のJA(Japan Agricultural Co-operatives)となった。1948年(昭和23年)各地で農協が設立された。農業が時代によって変化する中でJAも地域だけでなく、全国組織となり、今では世界の同じ様な組合と連携している。現在、JAは全国のほとんどの地域で組織され、信用事業(JAバンク)・共済事業(JA共済)・経済事業(組合員が作った農作物を販売し必要な資材や物資を購入する販売・購買事業)・指導事業(農業の推進や農業へルパーについての指導)・厚生事業(医療・保健事業といった厚生連を作り総合病院を経営)などのさまざまな事業活動を行っている。
第3章 農業の現状
現在では「米」の自由化時代への転換により販売競争や技術の機械化によって品種の選択や改良が急速に進んでいる。21世紀の農業は、国の内外にわたる農業や食料に関する正しい情報が今ほど痛切に求められている時代はない。急速に世の中は変化し続ける中、食の「安心・安全」への国民の関心の高まりは時代を反映している。国民の共通認識となりつつある食への関心を日本の農業にどう結びつけるかが問われる。
第4章 農業の未来を担う女性
日本の農業従事者の高年齢化が進んでいる。全国農業従事者の合計で60歳以上は、約65%を超えている。この層が10年待たずに確実に引退し、20年後も予測できる。それに加えて少子化の問題も重なっている。また、日本の農業就業人口のおよそ6割を占めているのは、女性である。女性は農林水産業生産に重要な役割を果たしているが、貢献していることが報酬や農業の指導者としての役割に反映されていない。しかし、現在では農村生活のよさや生活技術の再認識、地域内の交流の活用化、消費者との新しい関係、女性個人の発言機会の増加や行動範囲の拡大によりリーダーも生まれ活動範囲が広がっている。
現在、農村の女性起業への注目や期待は、さまざまなメディアでも紹介されている。いずれも女性起業の先進事例であるだけに新たな課題に直面し、またその課題を新たな形で乗り越えようとしている。女性たちは確実に学び、力量をつけ、自らのエンパワーメントを実現している最中である。
おわりに
農業社会を支えた農業は、今や急速に変化を遂げている。農業が単に生産と言うことではなく研究機関との連携によって、よりよい農産物を生んできた。また、食についての消費者の要求は農業も変えている。しかし、これから日本の農業が国内のことだけを考えている時代ではなく、世界を相手にする時代となった。その農業を改革するのは、女性の力なしにはないであろう。
ドラッグストア業界におけるマツモトキヨシの研究
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1809 原田 あい
指導教員 島田 薫
はじめに
国民医療費が増加を続ける中、2015年には国民の26%が65歳以上の高齢者になるといわれ、また、医療保険制度を支える労働人口の減少、少子化も深刻化している。医療費抑制策による、セルフメディケーション(自己判断による予防と治療)と医療分業(医師と薬剤師の役割分担)の推進という追い風によってドラッグストア業界は今後のさらなる成長が期待される。その業界の中でも、初の上場を果たし、売上げトップの座を続けるマツモトキヨシは多くのビジネス成功の要因を生んだ。斬新なアイデアと優れたマーケティング戦略を研究し、「創業者」松本 清の経営方針を探りながら今後のドラッグストア業界とマツモトキヨシについて考察する。
第1章 「創業者」松本 清について
第1節 松本 清の生涯
1909年、我孫子の貧しい家庭で生まれ、父は39歳で亡くなり、母親の昼夜問わずの内職で育てられた。進学をあきらめ従妹の奉公する薬局に丁稚奉公しながら、薬の専門学校へ通い、抜群の記憶力とセンスでマツモトキヨシの繁栄へと導いた。37歳の若さで千葉県議となり、その後も6期22年を勤めた後、松戸市長に当選。1973年、松戸市長2期在任中、64歳にして、この世を去った。赤貧な少年時代が大きな影響を与え「経営者と政治家」2つの顔を持つ松本 清を作り上げた。
第2章 マツモトキヨシについて
第1節 「薬局マツモトキヨシ」の誕生プロセス
1.松本薬舗の誕生
専門学校を卒業後、1932年に「薬種商」という販売資格を取得。自分の店を持ちたい一心で街の需要を独占できる立地条件を選び、常磐線北小金駅前の空き家にこつこつと貯めた資金を元に23歳の時、松本薬舗をスタートさせた。
2.アイデアによる商法
少ない資金で経営する中、若き経営者の巧みな数々のアイデアがその資金不足を補うこととなった。元本のかからない独特の方法で店を繁盛させ、その才覚が資金調達から店の運営まで及んだ。
3.コピーの才能
彼の考えるネーミングは、分かりやすくユーモラスな“オチ”がついた。オリジナルブランドの商品だけでなく店名から子供の名前を考えるにも、必ずひとひねり入れる事で強い印象を与え、消費者を惹きつけるコピー(宣伝文句)という新たなマーケティングを生み出した。
第2節 マツモトキヨシの急成長
1.売上げ日本一ドラッグストアへの道
首都圏の一等地に多くの店舗を確保、異色の価格提供とサービスを可能にし、集客率を高めていった。以後、ドラッグストアだけでなく、ホームセンター、スーパーのチェーン店へと展開した。大量消費の時代が終わりを告げ、流通業界は厳しい生存競争の渦中にあるが、高齢者の増加や健康不安の時代を反映して、好不況に左右されない売上を見せている。
2.マーケティング戦略
1964年、アメリカのスーパーマーケットの視察をきっかけに「安売り」と「チェーン化」に徹底して経営展開を図った。松本 清は、大胆な資金計画のもとで、ターゲットを若い女性に絞った。女性を視点においた店づくりや無理な需要にも応えるサービスが確実に顧客を増やし、女性の需要を的確に掴んだのだ。
3.独自の人材教育システム
松本 清は人件費をコーストとして考えずに、会社の戦略を達成するための投資だと考えた。企業向上を目指す為、社員の教育は様々な工夫がされ、自己責任と結びつけた業務代行制度など、独自の人材育成で社員の経営感覚を磨くと共に店の繁栄へと繋げた。
第3章 ドラッグストア業界における「マツモトキヨシ」
第1節 業界を取り巻く環境と問題点
1.医療費抑制策による追い風
医療分野では、危機にある医療財政が大きな問題である。医療費の内、薬剤にかかる費用は約3割を占めるといわれており、医薬品使用の抑制も重要な課題となっており、解決策としての「セルフメディケーション」と「医療分業」の推進によってドラッグストアの活躍が期待される。 2.コンビニでの医薬品販売
医薬品小売市場の拡大はドラッグストア業界にとって追い風となる一方で、業界を越えた競合の課題を抱えている。それは一般小売店での医薬品販売で、主なライバルはコンビニとされている。コンビニの立地や長時間営業という特徴に対し、ドラッグストアにも更なる専門性の強化と営業時間の延長などの面での利便性の拡充をすることが業界にとっての生き残りに繋がる。
3.薬剤師確保の問題
店舗拡大を進める中、それに伴う人材、特に薬剤師の確保が課題となっている。この問題は、薬剤師の2重登録といった薬剤師不在問題も発生しており、このようなトラブルによる信用の損失は医療の一端を担うドラッグストアにとって、信用損失の痛手ともなり得る問題となっている。
第2節 「マツモトキヨシ」の未来像
1.業務提携によるドミナント展開
他業態からの参入や競合に対し、マツモトキヨシが徹底するのは地域にサービスするドミナント戦略である。ドミナント化とは、業務提携やグループ化などにより各地域の地盤企業と協力することで、地域特性の理解を図ることであり、その早期実現を目的としている。店舗展開の効率化に加え、共同開発や仕入れ等でのスケールメリットが競争力強化にもなってくる。
2.「かかりつけ薬局」へ
商品面での明確な差別化が難しいドラッグストアは、医薬品の専門店として「かかりつけ薬局」となることも差別化の大きな要素である。駅前というマツモトキヨシの立地条件を活かせば、固定客を獲得して、地域に根付いていくことは難しいことではないだろう。 3.「ソリューション型店舗」の展開 消費者の健康に関するあらゆる問題を一気に解決できるよう生活提言していく、生活支援型、生活提案型の「ソリューション型店舗」をマツモトキヨシは目指している。かかりつけ薬局の延長線上にあるこの計画は、競争相手との差異化を図り、外資系を含めた企業との競争に勝つためである。
おわりに
ドラッグストアは我々の生活に溶け込んでいるが、規制緩和が進めば、ますます他業種との差別化は困難になり、その扱う商品から同業種だけでなく、他業種との競争になる。顧客の需要に限度はなく、今や1つでも多くの需要に応ずる事が、今後の生き残りの鍵となる。消費者の需要に応える為にも、規制緩和は一刻も早く進むことが望まれる。今後企業は、競争するのではなく、競合し成長してゆく時代なのだ。ドラッグストアは薬品だけに留まらず、新事業を展開していく必要がある。他社との業務提携を始め新事業の展開、販売品目の拡大が最も重要なポイントとなってくるであろう。
東京ディズニーランドの戦略
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1810 廣川 晴美
指導教員 真壁 哲夫
1980年代後半のバブル期に日本には多くのテーマパークが建設された。今現在、そのテーマパークのほとんどが経営不振あるいは破綻に陥っている。
その理由は、第1に、バブル期に沢山作りすぎた事である。作りすぎは、バブル期の好調な個人消費、地方の開発を促進するリゾート法の成立などが背景にあった。
第2に、1990年代に入ってのバブルの崩壊で人々の生活にゆとりがなくなりテーマパークなどのレジャー施設に行く人が減った事である。バブル崩壊で株や不動産の資産価値が暴落し、「逆資産効果」が起きたのである。
第3に、追加投資ができず施設内容が乏しくなり、テーマパークを長く継続するための重要なリピーターの確保ができなかった事などがあげられる。
そんな中、東京ディズニーランド(以下、TDLと略称)は日本に数多くあるテーマパークの中で、今では「独り勝ち」と言われ大成功している。入園者数は2000年で1730万人、売上高は2002年度で2810億円である。
TDLは「夢と魔法の王国」として1983年に千葉県の浦安市に開園した。1周年を迎える頃には来園者数が1000万人を超え人気のテーマパークとなった。その人気は2003年の今年20周年を迎えた今でも衰えることがない。その理由は以下のようである。
第1に、TDLは異空間を創り上げ、夢の世界にいるような気分にさせることに成功したことがあげられる。TDLを訪れた多くの人々は、現実を忘れ夢の世界に浸りTDLの見る物全てに感動する。その感動を忘れられない人は、リピーターとなり何度も足を運ぶようになる。
第2に、TDLの魅力の1つでもある数多くの愛らしいキャラクターが突然園内に現れ、子供から大人までも喜ばせている。
第3に、TDLはリピーターを確保するため、これまでに多額の追加投資を惜しまず続け新たなアトラクションを追加してきた。
第4に、TDLの強さに繋がるのが、従業員の接客サービスが優れていることと、園内がいつでも清潔に保たれていることである。TDLでは従業員教育に力を入れている。マニュアルを基に言葉遣いや行動の仕方など徹底的に指導している。外見だけではなく、内面から鍛え従業員一人一人に自信を持たせサービスレベルを上げている。感じのいい従業員が沢山いることで、お客の満足度も上がる。
こうして成功してきたTDLは、今後も中国でのディズニーランドの開園など、課題はあるが、乗り越えていくと思われる。
地上波デジタル放送化について
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1811 増子 公美
指導教員 石原 孝臣
大多数の国民が日々視ているテレビ放送、即ちNHK総合と教育、そして民放各社のテレビは、現在BSデジタル放送を除いては、アナログ放送である。東京タワーなどの送信設備から、中継局を経て地上に沿って放送電波を送信するところから、これは広く「地上波放送」と呼ばれる。NHK、民放あわせ約50年の歴史を支えてきた放送システムがこの「地上波アナログ放送」である。ここで地上波のデジタル化とは、言葉どおり、従来のアナログ式放送を、デジタル方式に変更することを指す。このデジタル放送は現在の放送設備や電波塔では送信する事ができず、また現在普及しているテレビで受信することができない。つまり、地上デジタル放送が実現するためには、局の設備も全国民の家庭のテレビも総取替えする必要がある。これを法制化して10年がかりで実現しよう、というのが地上放送のデジタル化計画である。
このデジタル化が、地上波放送の領域で法制化された経緯を、まずはふりかえってみた。日本で地上波放送のデジタル化が政策的に公言されたのは、1997年のことである。3月、郵政省(現総務省)の幹部が「地上放送のデジタル化に向けた取組み」を発表。業界は騒然となった。
先に触れたように、デジタル化自体は時代のトレンドであり、放送においてもBSやCSなどのデジタル化計画はすでに進んでおり、遠くない将来に地上波もデジタル化の洗礼を受けるであろうことは業界内でも当然と考えられていた。が、郵政省の突然の計画発表は「2000年以前にデジタルでのサービスを開始する」というもので、その無謀な計画に当の地上波テレビ各社は混乱したのである。
郵政省がデジタル化を急いだ背景には、欧米諸国が近いうちに相次いで地上波のデジタル放送を開始することに対する焦りが根強くあった。ちなみに米英では1998年から実施されている。が、日本では、いずれにせよ実現性の検討を詳細に行う前に、早いタイミングでのデジタル化構想がうちあげられたのである。
この計画は電波法の改正案に内容として盛り込まれ、通常国会で承認された。つまり、2011年には、家庭にあるアナログテレビは、この法律が実施されれば全て使えなくなる。それまでの間に、各家庭・個人は、「デジタル受信機への買い替えをしなさい」、というのが、即ち国策としての地上波デジタル化の結論なのである。しかし、国民の意向を無視したところで、当初から議論がなされていたということもあり、今いろいろな問題が生じている。
無理な計画を推進しようとした結果、テレビが視聴者・国民大衆からそっぽを向かれ、計画を練り直し、期間を延長すれば達成できるかもしれないデジタル化が、完全に支持を失ってしまう前に、早期にこの計画の修正が必要であり、それが重要であることがわかった。
ルイ・ヴィトンの製品戦略
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-1812 宮森 貴子
指導教員 由井 真人
ルイ・ヴィトン社は、1854年ルイ・ヴィトン(1821〜1892)によって設立された。グリ・トリアノン・キャンバスという灰色のキャンバス地で、積み重ねることのできる旅行用のトランクの製造販売から出発した。同社はその後約150年間、一貫して「旅」をコンセプトに、「トランク」「バック」の製造販売を展開していくのである。1987年にモエ・ヘネシー社と合併して、LVMH(モエヘネシー・ルイ・ヴィトン)となり、現在は40社を超すブランドを傘下に収め、ブランドの大コングマリットを築いているが、ルイ・ヴィトン社は、LVMH傘下のブランドの1社と位置づけられている。1998年にマーク・ジェイコブスをアートディレクターに起用し、ファッション分野に進出したことはこれまでバッグとトランクのみを製造販売していたルイ・ヴィトンのイメージを大きく変えることとなった。
製品ラインは、創業時のグリ・トリアノン・キャンバスの旅行用トランクに始まり、ワードローブトランク(旅行用ドレス専用ケース)、スティーマー・バッグ(汽車や船での旅行者用)、キーポル(旅行用ソフトバッグ)など「旅行」をテーマに創業以来展開しているトランクとバッグを軸とするレザーグッズ(皮革製品)、近年開始したプレタポルテ、シューズ、アクセサリー、ウォッチに分類されている。
主要なデザイン・ラインは、ダミエ・ライン、モノグラム・ライン、エピ・ライン、タイガ・ライン、モノグラム・ヴェルニ・ライン、モノグラム・ミニラインなどがある。特に、ダミエ・ラインとモノグラム・ラインは、100年以上にわたって人気を博しているデザインである。
1998年にアートディレクターとしてマーク・ジェイコブスを起用したことは、すなわちバッグとトランク製造販売から、トータルファッション化へのルイ・ヴィトン社の大きな方針転換であると考えられる。
現在、ルイ・ヴィトンブティックは世界51ヵ国に314店舗ある。店舗数が一番多いのはアメリカの92店舗で、日本は47店舗、フランスは15店舗である。日本は本場フランスよりも店舗数が多い。これは日本での売上高が全世界の30〜40パーセントを占めると言われていることを反映していると考えられる。
ルイ・ヴィトン社が日本で最初の直営店を東京と大阪に開設したのは1978年のことである。3年後の1981年には、ルイ・ヴィトン・ジャパン株式会社を設立し、ルイ・ヴィトン・ジャパンの直営1号店を銀座に開設している。これは、日本でのルイ・ヴィトン社の製品に対する人気が高かったことを裏付けているものであろう。外国の企業が日本で販売する場合、総代理店方式あるいは代理店方式をとることが多いなかで、ルイ・ヴィトンは商社や代理店を通さず製造・輸入そして販売・アフターサービスまでを自社で行う直営方式をとっている。ルイ・ヴィトン・ジャパンは、ルイ・ヴィトン社のブランドイメージ戦略などを踏襲しており、現場と顧客の良好な関係構築を重視している。そのため、顧客に直接関わらない機能はバック・オフィスと呼び、LVMHファッショングループに統括させている。ルイ・ヴィトン・ジャパンは顧客に直接関わることに専念できるためよりよいサービスを顧客に提供することが可能となっていると思われる。この方式は日本中のルイ・ヴィトン・ジャパンの直営店ブティックで採用されておりルイ・ヴィトン・ジャパンはサービスの標準化を徹底している。
日本でのルイ・ヴィトン社の今後の展開についてであるが、日本においても一層の売り上げ拡大を狙っているものと思われる。ただ、それを実現していくためには、すでに女子中高生ァ中心に若年層には相当浸透しているが、男性、中高年層など、客層のさらなる拡大ということも大きな課題となってくるであろう。従来のお金持ちに加え、少子化が進むなかで一人っ子に対してお金をかける親や子供のいない夫婦共働きなど、新しいタイプのお金持ちが、ルイ・ヴィトンの商品を求めるのではないだろうか。
現在、トータルファッション化を進めているものその一環と考えられるが、それは「ルイ・ヴィトンのバッグが映える」プレタポルテ、シューズ、宝石、時計などを製造・販売するのだと捉えることができるだろう。ルイ・ヴィトンのバッグを際立たせるためのトータルファッション化である。
ルイ・ヴィトン・ジャパンが今後どのように変貌・発展していくのか、10年先、20年先がとても楽しみである。
バブル後の日本経済
−経済政策とその限界−
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1901 青木 かおり
指導教員 真壁 哲夫
1980年代にバブルが起こり、1990年代に入って崩壊した。バブル期には株価・地価の上昇により戦後最長の好況を経験した。しかし、金融引締め、土地取引が規制強化され株価・地価ともに崩壊していった。長期不況の始まりである。
バブル崩壊後、株券や土地の資産価値が著しく減少し、個人消費は低迷していった。設備投資も個人消費の低迷により、期待した需要が現れず設備が過剰となり減少した。こうして不況となった。
これに対して経済政策が取られた。政府は、国債発行によって資金を調達し、公共事業の増加など、政府支出を増やした。日銀は公定歩合の引下げ、マネーベースの拡大など不況の時取る金融緩和政策を行った。しかしGDP成長率は伸びず、財政・金融政策ともに思ったほどの効果は得られなかった。そのため不況は持続していった。不況が長期化した要因として以下が挙げられる。
まず第1に、円高が進み1995年には1ドル=80円を記録した。円高は輸出産業を苦しめる。また、これによって、輸入は増え、景気にはマイナス効果を生んだ。
第2に空洞化である。円高により人件費などコーストが割高になっていくことで、アジアなど人件費の安い海外に生産拠点を置くようになっていった。これは国内の設備投資が減る要因になり、さらに景気にはマイナス効果が生まれた。
第3に住専問題である。バブル崩壊後、住専は大量に不良債権を抱え込んでしまった。しかし、農協等が多額の住専向け債権を持っていたため、住専を破綻させないという状況になり初の公的資金投入となった。これに対し、金融機関だけ救うのかという国民の強い批判が起きた。このため、金融機関への公的資金の投入が困難な環境が生まれた。そこで銀行不安も増大した。
第4に1995年から景気が少し上向いたことで、財政再建のため1997年4月から消費税を3%から5%に引上げた。その他の増税を含め国民の負担は大きくなった。これによりますます個人消費は減り、景気にはマイナス効果になった。
第5に不況が続いて不良債権が増える一方、公的資金の投入が困難になる中、1997年に北海道拓殖銀行の破綻、続いて山一證券の自主廃業、1998年には長銀・日債銀の国有化など金融危機が深まる事態が生じた。国民は将来の不安から消費よりも貯蓄に回すことで個人消費は減り、さらに景気にはマイナス効果を与えた。破綻しなかった銀行も中小企業に対し貸し渋り・貸し剥がしを行い不況を加速した。
このような金融危機を乗り越えるために今までにない政策が行われた。例えば公共事業以外にも無担保でお金を貸す、という政策である。しかし、国債が増えていきGDPを大幅に上回ってしまった。これ以上、国債を大量に発行できない状況までいったのである。また、ゼロ金利政策を行い、これ以上、金利を下げられないという限界まで下げてしまった。財政の機能も金融の機能もマヒしていった。このような事態から、なかなか不況から抜け出すことができずに不況が長期化したといえる。
少子化社会における玩具業界
人文学部 現代ビジネス学科・国際ビジネスコース 00-1903 浦澤 孝江
指導教員 島田 薫
はじめに
長引く消費低迷で、玩具業界以外でも老舗の破綻が相次いでいる。2003年だけでも、老舗玩具メーカーの(株)ツクダ(資金金1億8,000万円・2002年度3月期売上高170億3,400万円・負債総額は72億円)をはじめとする玩具大手企業3社が相次いで倒産した。どの企業も倒産する前年の玩具業界内の売上ランキングでは常に上位にいた企業であった。ここ3〜4年の間に大小合わせて二十数件の玩具メーカーや卸問屋が次々に倒産している。皆、昔の栄光に縛られたまま時代の変化に乗り遅れ、ヒット商品にも恵まれない状況が続き、取引企業が破綻することで連鎖的に同じ道をたどる結果になってしまったのだ。
競争も激化し、玩具業界の再編が進んでいる現在、勝ち組みと負け組みがはっきりしてきた。タカラの「バウリンガル」は外国でも賞を取り、売上も好調であることなどからも、ランキング上位の企業を見れば、いかに海外での活動を盛んに行っているかをうかがい知る事が出来る。生き残っている会社は、国内マーケットで通用する分野だけではなく、広い視野を持ち世界に通用するようなグローバル事業を展開しているのである。
そして、不況に加えて少子化が進む中、どの業界も購買層より上の世代を狙っている。子供が駄目なら上下更には左右へと年齢層を広げて大人の需要拡大もするしかないのだ。特に子供がターゲットの中心であった玩具業界にとって、大変な状況に追い込まれた。激動の時代だからこそ、そこにはビジネスチャンスがいくつも存在する。そんな、現在の玩具業界はとても興味深く検証してみたいと感じた。
第1章 玩具の歴史
第1節 歴史と業界における動き
戦前から戦後の現在に至るまで、時代と共に移り変わってきた玩具と、その歴史。玩具とは時代を反映する小さな鏡であると言っても過言ではない。時代を映す要素が強い為に、時代を先取りして売上を上げようとするメーカー側の戦略に加えて、国の政策や戦争、生活環境の変化が色濃く現れている。第一次ベビーブームのピーク(1949年)の翌年には国産プラスチック製玩具が製造開始され、玩具の幅も広がった。第二次ベビーブームのピーク(1973年)時には「マジンガーZ」などのテレビアニメ玩具が流行し、現在はその世代である30歳前後の大人達へ向けた懐かしのキャラクター玩具が流行している。
第2章 キャラクター(アニメ)ビジネス
第1節 日本でのキャラクタービジネスの広がり
日本にはキャラクターが溢れていて、世界で放送されているアニメの6割が今や日本製である。米国における日本製アニメ関連商品の売上だけでも43億5,900万ドル(2002年・日本円で約4兆795億円)。玩具業界においても、キャラクター(アニメ)なくしては語れないのが現状で、日本の外貨稼ぎになっている。
第2節 世界へ羽ばたく日本のアニメとキャラクター
2002年のポケモン(ポケットモンスター)関連商品の売上は約336億円と大変巨大な市場である。ライセンス料だけでも2〜3兆円。日本だけではなく、北米・アジアでの映画や商品の成績も好調である。ポケモン人気が火付け役となり、特にアメリカでは、これまでの「クール」だけではなく、ハローキティに代表される日本の「かわいい」キャラクターがますます受け入れられるようになった。
第3章 少子高齢化社会における業界の動き
第1節 日本の少子化の現状と玩具業界の市場規模
玩具消費高はアメリカに次いで世界2位の日本だが、総人口に占めるこどもの割合は14.1%と、他の先進諸国と比べて大変低く、イタリア(14.4%)と並んで世界最低水準であり、毎年過去最低を更新している。
日本の玩具業界の玩具消費高も1996年をピークにして下降傾向にあり、日本に長引く消費低迷に加えて、このまま出生率が下回るようなことが続くと、子供市場を中心に動いている玩具業界にとっては売上高の減少に繋がってしまい深刻な問題である。
第2節 大人向け玩具市場
少子化による市場の縮小に伴い、玩具業界は団魂の世代である大人の市場に注目しはじめた。カプセル玩具や食玩(しょくがん(は、彼らに「子供の頃の懐かしさ」を思い出させ、大人の購買層を増やした。
第3節 企業間の提携
大手メーカーは不況を理由に安穏としてはいられない。その為、大手玩具メーカー4社のコラボレーション事業(今まで版権問題などで不可能だった)「トイズ・ドリーム・プロジェクト」のように新規事業をメーカーの垣根を越えて設立し、共同企画による“夢の商品”を開発・製造することで新たな商品市場を開拓しようとする動きがあり、ここ最近玩具メーカー同士や他業種との提携が相次いでいる。
第4節 高齢者向け玩具の広がり
高齢化社会の日本においては、シニアマーケットの存在を忘れてはいけない。老人ホームでのリハビリ用玩具や、マンションでペットを飼えない一人暮らしの人の心を癒す「癒し系」玩具が人気を博し、メーカーも競って開発に取り組んでいる。高齢者と玩具への関心は広がりをみせ「玩具福祉学会」も設立される運びとなった。
第5節 トイザラスの日本進出
玩具業界の黒船来襲と叫ばれ、恐れられた米国トイザラス(世界26ヵ国で玩具・子供用品を扱いカテゴリーキラーと呼ばれる量販店TOYS”R”US,INC)が日本に進出した。日米構造協議の規制緩和による流通開国のモデルケースとして米国政府の強い後ろ盾や、大店法規制緩和の恩恵も受けて急成長したトイザらスは2000年4月に株式の店頭を果たし、目標であった100号店を2000年11月にオープンさせた。それまでの日本の玩具流通経路を破壊したメーカーとの直接取引など、成功の裏にはコンセプトジャパン(CJ)という日本独自の戦略があった。
第6節 生産拠点と販売市場を併せ持つ中国
中国は全世界の62%のシェアを持つ「世界のおもちゃ工場」である。2002年の玩具輸出総額は99億ドルとなり、玩具は中国5大輸出商品の一つとなった。日本の玩具メーカーは輸出向け製品の生産拠点を賃金の安い中国に置き、同時に日本市場向けの製品を生産、日本に逆輸入している。中国の人口は日本の人口の10倍以上の13億人、そのうち子供の人口は約4億人で、顧客として充分価値がある市場である。しかし、中国にはまだ世界に通用するオリジナル玩具を持つメーカーはない。その為、中国が世界貿易機関(WTO)に加入した今は、まさに日本の海賊版玩具が氾濫する中国市場に向けて玩具を開発し売り込む好機である。
おわりに
黒船「トイザラス」の日本進出により、玩具業界の流通システムそのものが変わろうとしている。大手小売チェーンがメーカーとの直接取引をはじめた結果、卸の中抜きが加速し、これまでの定価販売も崩れた。今後業界の競争はますます激化し、商品サイクルが短く取引高も低い玩具で生き残る為には、価格だけではなく他社とは違う付加価値や特別強い分野をもてるかどうかが、重要となってくる。それが出来ない企業はバンダイのような強い企業に次々に吸収・淘汰されていくしかない。これは、オンライン玩具ショップについても同様であるが、日本は広大なアメリカとは違い狭く、日本人には「商品(玩具)は直接手にとって選び、楽しみながら買いたい」という特性がある為、今以上の広がりはみせないだろう。
少子化だからといって悲観するのではなく、子供の1人に掛ける金額が大きくなっていることに注目し「シックス・ポケッツ」をもつ子供の為の玩具を展開し続け、加えて日本だけでなく世界を相手に男女問わず幅広い層に向けた価値ある商品を(株)ナルミヤ・インターナショナル(小学校高学年〜中学生市場で、衣類を中心に数々の高額ブランド商品を大ヒットさせた)のように展開すれば、玩具産業は滅ばずに成長を続けるだろう。玩具メーカー側もナルミヤと同世代をターゲットとした商品が好調な売上を伸ばしている。これらは、「不況や少子化とは関係なく、逆に大変な時代だからこそ、人が欲しいと思う価値あるものを作り出せば売れる」という証拠で今後は、この世代をターゲットとした玩具メーカーがますます増えていくだろう。
そして、今後の日本の玩具業界の課題はグローバルな展開ができるキャラクターを成長させる環境を整えることである。村上隆の作品が海外オークションで高額落札(約6,800万円)されたことで日本でも人気がでたように、現在の環境のままでは海外で認められてはじめて日本でも認められるというケースが多く、豊かな感性と豊富なアイディアを持つ若手キャラクターアーティストがなかなか表に出られない状況である。どの業界においても不況により苦しむ中で、日本のキャラクター及び玩具には未だに多くのビジネスチャンスが潜んでいる。子供時代の懐かしいキャラクター玩具に大人がお金を注いでいることからも、今あるキャラクターをそのファンの世代に合わせて育てながら、ガンダムに代わるような今の子供に向け用にも新しいキャラクターを作り、それらを長期的に成長させることが将来の高い玩具の売上に繋がる。また、日本だけでなく海外にも日本のキャラクターによる巨大テーマーパークが誕生する日も近く、そこから銀座の並木通りに立ち並ぶ一流ブランドのように、日本から発信された日本を代表するキャラクターには、その確固たる存在を大きくアピール出来る力があるのだということを証明させたい。その為には、国のサポートは今後必要不可欠であるのだが、日本のアニメが世界的に評価され賞を獲得したことでやっと動き出したばかりである。それらは諸外国と比べると大変遅れており、米国や仏国などでは、政府が早くからアニメ・ゲーム制作などを学べる学校を整備し、お隣韓国ではサッカー選手同様、ゲーム開発者には兵役を軽減するほどの力のいれようである。アニメ製作者が育たない日本では、以上のことからも政府は支援を急ぐ必要がある。国内だけではなく世界の競争に勝利し、玩具業界において生き残ることが出来る会社は数社に過ぎないだろう。だが、近い将来、本来「物づくりの国」であった日本の経済を支えて輝かしい未来をもたらしてくれているのは「日本のアニメと玩具」であることを確信する。
日本の製造物責任法(PL法)のあゆみ
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1904 加藤 恵美
指導教員 甲斐 聡
現在日本には多くの企業があると共に製造業者も多い。それに比例し、製品が販売店の棚を急速に変化させてゆく。そんな中、製品を新たに使用する時、「取説」と呼ばれる取扱説明書をきちんと読んでいるだろうか。多くの人は慣れで製品を使用していくという考え方ではないだろうか。私は自動車に関心があり、ゼミは法学を履修している事から、製造物責任法とリコール制度に大変興味を持った。
製造物責任法(以下同法)だが、日本で施行されたのは1995年である。それ以後、いくつかの訴訟はあるが、同法に関しての訴訟は少なく認識度が低いといえる。同法制定以前は、瑕疵担保責任や債務不履行、不法行為などが適用されていた。しかし、訴訟を起コース際に消費者にかなりの負担がかかるため敬遠されていた。そこで、同法は、製品の欠陥によって損害を受けたため財産をおかされた場合、製品の欠陥を証明するだけで良いとなった。施行以前は「過失」の証明もする必要があったので、法律上は消費者の負担は軽くなっている。しかし、上記に記したように同法による訴訟は多くない。
リコール制度は、自動車の不具合を無償で交換整備する制度である。昭和44年に制度化され某企業のリコール隠ぺいなどもあり、消費者の認識度が高い。そのため、平成になってから1家に一台、二台があたりまえの時代になり、自動車が普及するに比例してリコール届出件数は増え続けている。また、規定改正や新車発売の直後もリコールが増加する。製造業者独自の判断だけではなく国は、消費者の情報提供に耳をかし検討しリコールとして処理されることもある。事故が起こってからではなく、未然に防止という姿勢が現われている。
製造物責任法は動産に限って適用される。不動産には別の法があり同法には関係しない。しかし、その区別が難しい点、また、欠陥があり同法が適用されるとしても誰に対して訴訟を起コースのか、という判断が難しい。さらに、本文中に記述したが、消費者個人で判断し訴訟を起コースのは難しい。また、訴訟期間も定められているために訴訟件数の減少の原因ともなっている。同法のみの訴訟が少ない理由として、自動車に関しては自動車損害賠償責任法で定められている自賠責保険があるため、訴訟までに至らない。そこで消費者の負担をカバーしてしまうためである。また自動車の場合、第三者のいる事故が場合多いため、同法を認識し訴訟を起コースことは更に困難になる。そのため、消費者が企業を相手取り訴訟を起こし、勝訴するのは難しい。なぜなら、企業は一流の弁護士を持っているからだ。しかしながら、欠陥を消費者がきちんと主張することは必要である。
また、企業が自ら製造物の欠陥を認識し、事故発生以前に改善策を消費者に公表する事が施行以前に比べて容易にできるようになった。消費者が活用するにはまだまだ難しい法ではあるが、企業がより良い製品を市場に送り出す努力をすることに惜しまない努力を注ぐためには、同法は必要不可欠といえる。
海運と空運の比較と考察
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1906 小池 真未絵
指導教員 石原 孝臣
輸送の中で、船舶と航空機を使用する海上輸送と航空輸送は、当たり前に行われていて、現代ではかかせない輸送手段である。双方をいくつかの角度から考察し、これらの対比において、経済的分野での役割を考えていきたいと思う。
海運の歴史は、1807年にフルトンによる実用蒸気船完成によって進化し、1900年に入ってから海運業の発展を遂げている。現在の海運業の形態としては、国内貨物を扱う内航海運と、貿易貨物を扱う外航海運に分類される。同様に空運の歴史を追ってみると、1903年のライト兄弟のエンジン航空機による飛行の成功後から航空輸送が始まり、航空運送事業が急速に発展を遂げているのは1945年以降のことであった。現在の形態は、旅客を輸送する航空機(旅客airline)と、貨物を輸送する航空機(cargo airline)とに区別されている。
海上輸送と航空輸送は、輸送手段が異なっていても、貿易のシステムは基本的には同一である。しかし、航空輸送による貿易の手続きは、航空貨物受託後、航空運送状(AWB)を荷送人に交付するのに対して、航空の場合は海上貨物におけるような船積指図書(S/O)の発行はない、など、海上輸送による場合と一部異なるところがある。また、両者を比較してそれぞれの特質をあげると、海上輸送は大量に長距離を安く運ぶことができるが、速度や安全面では航空輸送に劣る。一方、航空輸送は、輸送にかかる時間が短く、高付加価値商品の輸送に非常に適しているが、海上輸送と比べると運賃が高く、一度に大量の貨物を輸送することは困難である。
海上輸送と航空輸送は、景気低迷やテロなどの変動要因によって需要バランスが常に変化する。例えば市況の低迷は、海運業界にとって死活問題であり、海運は今、景気低迷の長期化により、受注量・運賃に減速感が生まれている。また、一般消費者との接点を持つ部分が少ないために、事業の多角化への急速な対応が迫られている。同様に、航空輸送も、ITバブルの崩壊や米国同時多発テロの世界的不況により、航空輸送量は大幅に減少している。
こういった変動要因を含めた上で荷主業者側から見て、海上輸送と航空輸送のどちらを使えばどのように有利なのかを考えると、航空輸送は、運賃の高い面が海上輸送に劣るものの、戦略的に利用されている部分が見受けられる。すなわち、運賃のみの比較ではなく、それ以外の利用価値と総合コーストを考慮して判断しているのだ。海運と空運の両手段を比較して選択するには、総合コーストの考え方で決めなければならない。
また、最近では貨物の受け渡しから引渡しまでの間の輸送について、通しの運賃提示や一貫責任を求める複合一貫輸送サービスが著しい輸送量の伸びを示している。航空輸送ほど時間的に制約がなく、運賃コーストも抑えたい場合に、海上輸送ほど時間がかからず、海上運賃よりも多少高くても良いという顧客のニーズに応えるための輸送方法である。
近代の技術革新により、輸送の現状も変わってきている。物流の分野では輸送時間の短縮が求められることになるが、このニーズに応えうるものは航空以外にない。しかし、輸送の対象物が小型化・軽量化すると、その体積・重量が小さくなるので、貨物量の減少に繋がっているとみることができる。この傾向は海運・陸運においても明らかに生じている。
死刑制度論
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1907 斎藤 裕子
指導教員 斎藤 静敬
第1章では死刑存置論、死刑廃止論について論述。
死刑存置論で、4つの種類に分けられており、1は、われわれの国家社会を維持する最も有効的な唯一の手段である、民族的法律観念を理由とする存置論、2は、最も有力な根拠として死刑の威嚇力を力説する、威嚇力を理由とする存置論、3は、死刑は自誓、自戒的制度であるとする、社会契約説を理由とする存置論、4は、日本国民性社会事情からして死刑は存置すべきであるとする国民性と社会状態を理由とする存置論を記述している。
死刑廃止論を記述している。死刑廃止論も、4つの種類に分けられており、1は、人道主義的廃止論、2は、被害賠償を理由とする廃止論、3は、誤判を理由とすつ廃止論、4は、死刑に威嚇力がなしとの理由よりする廃止論を記述している。
第2章では、日本における死刑の状況について論述。
旧刑法、現行刑法における死刑制度を記述していおり、刑法改正と死刑では、刑法の全面的改正を記述。他、死刑犯罪では死刑についての現状、現行刑法においての死刑を科することのできる犯罪の種類を記述。そして、死刑確定囚の処遇の現状も記述している。
第3章では、日本における死刑の執行を論述。
死刑執行についての手続きは、死刑の執行は、その判決確定の日より原則的には6か月以内に法務大臣の命令にもとづいておこなわれることになっていることを詳しく記述。死刑執行起案書の起草から死刑執行命令書ができるまで、手続を説明し、そして現在の死刑執行場を記述している。
第4章では、日本国憲法と死刑について論述。
死刑とは憲法違反であるかどうかについて、新憲法が施行され、憲法第31条、「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科学せられない」とし、法律に規定さえすれば生命を奪うこともできる、という死刑を認めたものであり、これに対し第36条でいう、「残虐な刑罰」に該当するかどうかという点に照らし合わせて、死刑は憲法違反であるとする説、死刑は憲法違反ではないとする説について記述している。
そして、死刑は憲法36条の残虐刑に該当するかに対して、昭和23年(1948)3月12日、最高裁判所大法廷は、「窮極の刑罰であり、また冷厳ではあるが、刑罰としての死刑そのものが直ちに同条における、残虐な刑罰に該当するとは考えられない」すなわち、「刑法死刑の規定を憲法違反とする弁護人の論旨は、理由なきものといわねばならぬ」との理由から、死刑を定めた刑法の規定は、違憲ではないということを明かにし、それについて、詳しく記述している。
女性の結婚と離婚
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1909 福田 由紀子
指導教員 斎藤 静敬
結婚と離婚。言葉自体はよく耳にするが、自分では経験したことがなく、その意味についても知っているようで知らない事柄である。
第1章では、主に婚姻について論述した。ここでは、大きく分けて婚約、法律上の婚姻、婚姻の効力、内縁について説明した。まず、婚約とは何か。その婚約を交わした後、正当な自由なくして解消した場合の損害賠償について、精神的・財産的に分けて記述した。そして、法律上の婚姻については、その中で実質的要件と形式的要件とに分けられる。実質的要件とは、届出をし婚姻関係を結ぶための法律的な条件のことである。形式的要件とは、戸籍法の定めるところにより届出をすることである。婚姻の効力では、婚姻が成立し、当事者間に夫婦関係が発生したことにより生まれる法律上の効果について、一般的効果と財産的効果に分けて記述した。最後に、内縁とは、社会的に夫婦と認められるような関係を作ろうとする意思があり、共同生活を送っている男女の関係をいう。これを細かく分類し、また、婚姻との法的効果の違いについて記述した。
第2章では、離婚について論述した。婚姻の解消には大きく分けて、死亡による解消と離婚による解消がある。死亡による解消では、夫婦の一方が死亡することにより婚姻関係は消滅するのだが、姻族関係の終了や復氏についての手続きについて記述した。また、離婚による解消には、協議離婚、調停離婚、審判離婚、裁判離婚があり、それぞれの意味と手続きについて記述した。裁判離婚において、有責配偶者つまり、離婚原因を自ら作り出した責任ある配偶者からの離婚請求は認められるのか。世の中の流れが、有責主義から破綻主義へと推移してきたことを、判例をあげて記述した。離婚による身分上の効果と財産分与、慰謝料については、離婚によって婚姻関係が解消し、その効力も解消するため、身分上・財産上ではどのように変わっていくのかを記述した。
機内食産業の歴史と展望
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-1910 藤澤 真也子
指導教員 真壁 哲夫
機内食サービスとは、「航空機の機内で、搭乗している旅客に飲食物を提供する、飲食サービスの一形態」として定義づけすることができる。今日、民間航空機を利用して旅行する人は、必ずといってよいほど機内食サービスに接する機会がある。
飛行中の機内で食事サービスを提供するのであるから、機内食は通常のレストランにおける食事サービスとは根本的に異なっている。すなわち、メニューの追加調達ができない、重量制限がある、貯蔵空間に制限がある、調理技術が制約されている、通常以上に安全性や衛生問題が重要である、などの特異性を有している。
機内食の歴史は、上記特異性の下で、加熱・冷蔵等の技術革新によってメニューが変化してきた歴史であり、専門の航空ケータリング会社も生まれてきた。
近年、航空会社間の競争は厳しく、航空運賃の低価格化競争をもたらした。この結果、いかにして低価格で、おいしい食事を提供するかが、旅客獲得のための重要な戦略の一つとなった。さらに、テロやSARSなどに代表される複雑な社会情勢は、乗客数の減少など、経営に深刻な影響を与えている。このため、各航空各社は特色ある機内食を売り物に、乗客の獲得合戦を行っている。このことは、特に、ビジネスクラスやファーストクラスにおいて顕著である。
大量輸送時代の到来は、同時に、旅客の要求多様化という課題をもたらした。大陸間の長距離飛行のみならず、一時間程度の短時間路線、数時間程度の国際線、アメリカ横断路線においても、特色あるサービスを提供することが、旅客獲得戦争にとって極めて重要な要素となってきている。
今後も競争の激化・低価格化は続き、乗客の好みの多様化への対応も重要性を増し、大型ケータリング会社が生まれるシナリオも考えられる。さらに、機体の大型化、高速化が進めばサービス内容の多様化、すなわち、機内レストランや弁当などの広がりが見られるようになるかもしれない。
ホテル業界の歴史と展望
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1911 前田 智春
指導教員 真壁 哲夫
日本のホテルの建設ブームを見ていくと、東京オリンピック、大阪万博期、そして、バブル期があり順調に成長してきた。しかし、バブル崩壊後は長期の低迷が続いている。この長期低迷について明らかにしていくと、供給面ではバブル期のホテル建設増大により、供給が過剰になったことが挙げられる。また、需要面では宿泊・イベントの減少が原因である。これらは、利用者の中心であった法人需要が大きく落ち込んでいるため、件数、単価ともに減少している。
そして、個人利用の減少である。その原因として第1には、女性の社会進出、意識の変化があげられる。これが未婚率の上昇、出生率の低下を通じて、少子化問題を深刻にしている。結婚件数の減少はこれらの結果であり、その結果、結婚式の多様化もあって、ホテルの個人イベント需要にはマイナスに働いてきた。第2には不況による観光の減退がある。
このように日本のホテル業界は不振の日々が続いているが、外資系ホテルは比較的好調である。その理由として、外資系ホテルのポイント・サービスなど経営戦略が上げられる。きめ細かなサービスも大きな要因である。また、外資系は東京に次々と新たなホテルを作っているし、これからも進出が続く。外資系にとっては、東京は稼働率が高く、都心開発計画の進展でビジネス機会が見えている。アジアの一部としての成長ポテンシャルもある。
こうして外資系の進出が続くと、日本のホテルにとっては競争が激しくなる。この競争で、外資系に勝つための戦略は以下である。
第1に、顧客獲得のための戦略として、ターゲットとするマーケットの選定がある。「女性」「団塊の世代」がキーである。
第2に、インターネットによる予約制度の充実など業務革新の遂行が大事である。旧来の価値観にとらわれることなく、顧客ニーズに敏感に反応し、いかに時代の変化に対応していくかが重要である。
日本のホテルは宿泊需要のみならず、レストラン利用、各種宴会や結婚披露宴などで、多くの人に利用されている。現代人の日常生活に欠かせない社会的機関になっている。ホテルは、交通の便利な場所にあり、24時間いつでも開いていて、待ち合わせの場所などに利用でき、飲食もできる集いの場として存在している。ホテルの必要性がここにあると考えられる。こうした場の提供こそがホテルの長所であり21世紀も生き抜ける。日本のホテル業界は、人が好き・サービスが好きといった生きがいを持って働く人材がいれば、21世紀には限りなき成長を遂げるだろう。
クチコミマーケティングの研究
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1912 松田 知花
指導教員 島田 薫
本論文で言うクチコミとはある商品(又はターゲット)を実際に使用し、使用した成果あるいは効果などを人から人へ伝える行為である。人は自分が何か使用して良かったら相手にも勧める傾向があり、考え方は今も昔も変わらない。ただ、インターネットや携帯電話の普及により、日々めざましく変化を続けているのである。
ビジネスの基本である、マーケティングの歴史から説明したい。「マーケティング」は20世紀初頭にアメリカで誕生したと言われている。その後のマーケティングの発展に大きく関わってくる産業の発展をみると、大きく三つの時期に分けることが出来る。第一は、1910年頃のマーケティングの誕生から世界大恐慌が始まった1930年頃、第二は、1930年頃から1940年頃、第三は、第二次世界大戦後の1950年ごろから現在までである。
1930年頃までは「もの」が少ないという時代背景に、「作れば売れる」という、売り手市場の生産中心時代だった。T型フォードの事例でわかるだろうと思うが、その後、ライバル会社GMが参入し、「作っても売れない」という時代が到来するのである。
そして、生産中心の時代から販売中心の時代へと移り変わった。つまり、「売り手市場」から「買い手市場」へと変わっていったのである。ここからは「いかにして売るか」が必要となる。第二次世界大戦後の1950年頃からは、「作ったものを売る」という考え方から「売れるものを作る」という考え方が主流となり、生産者中心から顧客中心へと現在のマーケティングが形成されてくるのである。
だが、当時はマーケティングという考え方も言葉も存在すらしていなかった。戦前、マーケティングが「配給論」として紹介されていたことがあるが、実業界は関心を示さず、学界の関心にのみ終わったことがある。1955年に日本生産性本部の「トップマネジメント視察団」が訪米し、石坂泰三(東芝会長)団長が帰国後の記者会見において「顧客を何よりも大事に考える米国の経営を見ると、日本ではマーケティングが少し遅れているように思われる」と報告した。この報告が、実業界でマーケティングの本格導入が始まるきっかけとなったのである。余談ではあるが、当時まだ「マーケッティング」とか「マーケッチング」などと言われ、日本語訳にしても「市場活動」、「市場開拓」、「市場開発」など使われていた。適当な訳語が見つからず、次第に「マーケティング」へと統一されていったのである。
時代とともに定義も変わり、日本では1990年に日本マーケティング協会の「マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。」という定義は現在でも変わらず、使われ続けているのである。
マーケティングで使われている「4P」は1960年にマッカーシー(E.J.McCarthy)が、プロダクト(Product)、プレイス(Place)、プロモーション(Promotion)、プライス(Price)を必須の構成要素とみなした。これが、頭文字をとって「マーケティングの4P」と呼ばれるようになったのである。では、ここで基本的な説明が一旦終えたところで「クチコミ」について検討していきたい。
「クチコミ」とは何か。人がクチコミを気にする理由の一つとして、自分達と同じ立場、つまり消費者側から発信された情報であるが故に、私だけが知っている、という限定的情報・隠れ家的情報がクチコミにはあるので、より一層確かである、といった印象を読者である私達に与えているからであろう。ここではクチコミによってベストセラーになった本を2冊あげている。
一冊目は、100万部を突破し、渋谷が舞台となったベストセラー小説『Deep Love』(yoshi著)、もう一冊が、発売から2年半を経て126万部のベストセラーになった、恋愛小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一著)である。どちらの本に対したも共通の事が言えるのだが、純粋な心だけでは、今の世の中は生きる事が難しい、だからこそ、私達は素直に生きていきたい、という願望が話題を呼んだのだろう。
「クチコミ」という存在は昔からあったのだが、今ほどマスメディアの発達がなかった為、あまり注目されなかった。だが、「噂」や「デマ」も昔から作られていたのだが、コミューニケーションの発達が今ほどではなかった為、実際に本当の話か、嘘かの違いを見抜くことが難しかった。現在では、コンピューターや膨大なメディアが「クチコミ」を「マーケティング」として欧米の企業を初め、ビジネスとして活用しているのである。
クチコミが発生するのには、条件が揃って“ヒット”という形になるのだが、この研究を通し、自分なりの考察ではあるのだが、一つの結論に達する事が出来た。どんどん進化や発展を、世界中の人が待ち望んでいることだろう。しかし、デジタルの時代に、「クチコミ」はアナログかもしれないが、人と人結ぶ「コミニティ」や「コミュニケーション」は今後、失われるかもしれないからこそ、最も大切にしなくてはならないのではないか、と、そして、本当に良い商品は必ず「クチコミ」が生まれ、“ヒット”するのだろう、という研究結果に至ったのである。
サッチャー政策にみる構造改革
−イギリス病への治療線−
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1913 和佐 佳苗
指導教官 村瀬 満男
サッチャリズムという言葉がある。イギリスの歴代首相でその名前が主義となった例は決して多くはない。サッチャーの改革はそれほどインパクトの強いものだった。その改革の成果についてなお、多くの議論があるが、衰退国家といわれ、「英国病」といわれたイギリスを大きく変えたことは問違いない。
第二次大戦後、イギリスの福祉国家の前提となったのは完全雇用だった、失業率の低下こそ歴代政権が追及してきた政治目標だった。だから失業率が上昇し、支持率が落ちるとインフレ抑制という目標はどこかに飛び、景気刺激策をとってインフレ体質を培った。サッチャーが特異だったのは上昇する失業率、低下する支持率を前にたじろがなかったことだろう。「強すぎる労働組合」こそ「英国病」の元凶として、むしろその高失業率を逆手にとって労働組合対策に取り組む。
グリーンペーパーというたたき台を国民に提示、その反応を調べ、労働組合の動向を見極めながら徐々に進んだ。労使関係法にしても、80年法、82年法、84年法というように、少しずつ出し時間をかけ、国民や組合員に十分説明した。一連の労使関係改革の法案成立まで五年もかけ、そこには独断専行というとかくサッチャーに向けられがちな姿はない。サッチャー哲学の基本は「自由な個人が自分の判断で」というものである。労使関係法改革でもその哲学が遺憾なく発揮された。集団主義の労働組合から個々のひとたちから構成される組合への変革をうながしたのである。自由投票という基本的な権利も確保されないまま、幹部の独断で動く組合。組合除名がそのまま、職を失うというクローズド・ショップ制。こうした組織に個人が自分の考えを反映できるようなシステムを導入しようとしたのである。
発言の自由を徐々に確保された組合員たちは独断専行の組合幹部に批判の目を向け始めた。組合という組織の持つ矛盾点をたくみに浮き彫りさせ、「組合員をして闘わせしめる」方向へと誘導する。それが組合の弱体化につながった。
こうしたことを踏まえ政労対決の天王山といわれた石炭労組の全国ストに臨んだ。スト権投票もしないまま幹部独断でストに突っ込んだ組合はサッチャーの用意したわなにみごとにはまり、組合分裂までひきおこして敗北するのである。最強硬派といわれた石炭労組の屈服は他の大労組の穏健化をまねき、猛威を振るった「強すぎる労組」は姿を消す。脱工業化の進んだイギリスでは労働組織率はさがる一方である。失業率低下で労組への圧力が減り、イギリスの労組がまた昔の力を取り戻す可能性は低い。サッチャーの労組改革の足取りを追い、以外に慎重な彼女の政治姿勢を明らかにするのが本論文の目的である。
ファミリー・フレンドリー企業について
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-1914 和田 幸子
指導教員 早坂 明彦
はじめに
私は、将来、結婚・出産後も仕事を続けていきたいと考えている。今後、どのような制度があれば、働き続けられるのだろうか。この問題について「ファミリー・フレンドリー(Family Friendly)」の施策や企業の人事労務管理制度を明らかにしたい。
第1章 ファミリー・フレンドリーの施策
ファミリー・フレンドリー企業とは、「仕事と育児・介護とが両立できる様々な制度を持ち、多様でかつ、柔軟な働き方を労働者が選択できるような取組を行う企業」を言う。まず、坂爪の施策、他に21世紀職業財団の施策などを見ていく。最後に21世紀職業財団のファミリー・フレンドリー企業制度の内容について概観する。
第2章 日本と各国の取組と現状
日本では(財)女性労働協会、アメリカではカタリスト(Catalyst)そして、イギリスではオポチュニティナウ(Opportunity Now)と呼ばれる組織が「ファミリー・フレンドリー」企業を支援しているのである。その具体策を概観する。
第3章 日米の「ファミリー・フレンドリー」企業の事例
日本では厚生労働省が仕事と家庭の両立を推進している企業に対し、「ファミリー・フレンドリー」企業として表彰を行っている。その、厚生労働大臣優良賞を受賞した「富士ゼロックス株式会社」では、育児・介護に関し、多彩な選択肢を用意しているのである。米国の企業、「ジョンソンエンドジョンソン」では、最高経営責任者をはじめとする経営層が両立支援策の推進者となっており、いずれも熱心に育児・介護支援に取り組み従業員の仕事と家庭の両立を計っている。
第4章 「ファミリー・フレンドリー」企業のメリット
企業が「ファミリー・フレンドリー企業」として、仕事と家庭との両立支援策を推進することは、支援による恩恵を直接享受する労働者だけでなく、企業にとっても大きなメリットがある。企業側及び労働者側のメリットを中心にまとめたものである。
おわりに
少子高齢化の進展により労働人口の減少、社員の高齢化が進む中で、優秀な人材を確保し、職場を活性化することが、多くの日本企業の課題になっているのである。そのためには、今後、育児・介護休業制度等を強化するとともに、「ファミリー・フレンドリー」を目指す企業を積極的に支援していくことが求められるのである。将来、結婚・出産後も仕事を続けていくには「ファミリー・フレンドリー」はなくてはならない制度である。
中小企業が坦うイタリア経済
−その柔構造とネットワーク−
人文学部 現代ビジネス学科 マーケティングコース OO-2001 浅井 真梨子
指導教員 村瀬 満男
日本経済における「失われた10年」と言われる90年代の不況は、21世紀を迎えた今も日本経済を大きく覆い、出口も見えないままである。大企業による大量のリストラが相次いで打ち出され、それは私たちの身近な生活にも影響を及ぼし、中小企業にも発注打ち切り、単価切り下げなどあらゆる面で経営を圧迫され、かなりの影響を受けた。
日本の中小企業政策を担当する中小企業庁は、1996年以来3年間にわたって『中小企業白書』で「第3のイタリア」を中心に経済発展をとげたイタリアの中小企業政策を取り上げている。確かに日本以上に中小企業の割合が多いイタリアでの奇跡的な経済発展が中小企業によって達成されたことはこれまでのあらゆる研究で明らかになっていることである。
「第3のイタリア」と呼ばれた地域に集積する中小企業が「産地」を形成して、地域内で分業体制をしいており、緊密なネットワークにより市場に製品を供給して高い成果を上げている。それは輸出全体に占める中小企業の輸出の割合が高いことから、その競争力も推測できる。また、産地に集積する中小企業に対する支援政策は国よりも州レベルで実施されていることも興味深い。
イタリアは、1969年に起きた「熱い秋」以降、労働紛争が先鋭化した。これを受け、1970年に制定された労働者憲章は、労働者の権利を拡大し、労働コストも上がり、企業は苦しめられただけでなく、73年秋にはさらにオイルショックの追い討ちを受け、イタリア経済は危機的状況に陥ってしまった。1975年に政府はスカラ・モービレ(sca1a mobi1e:賃金の物価スライド制)の採用を受け入れざるをえなくなり、賃金が急騰し、社会保障や医療保険の企業負担も膨張した。この結果赤字に陥る企業が著しく増えた。
労働組合の支配を逃れ、社会保障負担の重圧を回避しようとして、脱税や社会保障未加入などの不法行為が蔓延する地下経済が進んだが、同時に、規制が少ない中小企業の急増がみられることになった。これがスピンオフである、大企業が、組合組織率の低い小企業を設立して生産を分散させ、生き残りをはかった例も少なくない。中小企業は従業員の解雇が比較的簡単にでき、また社会保障の一部免除などあらゆる面で規制が緩和されている。大企業で大きな歯車の一部として働くのではなく、今までの培ってきたものを生かし、会社を興してフレキシブルに仕事をしようと思う者が多くなるのも理解できる。
また、さまざまなネットワークはスピンオフが興る要因のひとつでもある、起業家は勤務先やビジネスを通して知り合う人間関係以外にも、生活上のネットワークなど様々なネットワークによりスピンオフに重要な経営資源や、重要な情報へとアクセスができる。
一つの企業の規模が拡大するのではなく、なぜ分散的に次々と新たな企業が誕生するのか、そして、なぜ家族を主体とした経営スタイルを崩さないのか、その様子をエミリア・ロマーニャ州、ボローニャの包装機械メーカーの事例を取り上げ、また、樹形図のように何世代にも渡りスピンオフをしていく様子はACMA社の事例を基に起業家が形成するインファオーマルなネットワークの発展を媒介として、数多くの企業が誕生していくプロセスを明らかにしていく。
国際通貨の可能性をユーロに探る
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-2002 飯田 真由美
指導教員 村瀬 満男
ユーロが発足してまもなく5年。EUの期待を一身に背負って誕生した単一通貨ユーロは、国際金融市場においてどのような位置を占める通貨になったのだろうか。5年という歳月を経た現在、その当時では推察することが容易ではなかったユーロ下落の原因や、欧州中央銀行の働き、そして今後の見通しなどを5年間の蓄積されたデータをもとに検証する。
1999年1月の発足以前からいわれていたユーロ高になるとの予想を裏切り、誕生2週間目にして早くもユーロ安に転じた。ブラジルに発した国際通貨危機も影響し、その後も一向に下げの傾向は変わらず2000年5月には0.9ドルを切った。8月からより一層下落の拍車がかかったユーロは、世界経済を混乱させかねないとしてG7の介入を受けた。ユーロ安の主な原因としては、機関投資家によるユーロ建債券の継続的な売り処分、アメリカの国際資金ポンプ機能、アメリカとヨーロッパの成長率格差などがある。また、副次的な原因として、1999年春から2000年初頭にかけての原油価格の急騰が挙げられる。
ユーロにあわせ新設された欧州中央銀行は、他の中央銀行とは違いどの国にも属さない超国家的な中央銀行であるがゆえに生じる問題を抱えている。欧州中央銀行の執行機関である役員会の6名と、ユーロ12カ国の中央銀行総裁からなる18名で意思決定をするため、意見集約が難しく、機動的な市場対策が困難であり、当然市場介入の効果も薄れざるを得ないという問題を持っている。対するEU蔵相理事会(ECOFIN)もまた各国の蔵相の寄り合いである。
1999年から2003年までのユーロの為替変動を考察してみると、ユーロの変動はアセット・アプローチを絵に描いたようだった。ユーロ誕生当初、ユーロ高予想が高まった結果、ユーロ建債券の買いが増加した。それにより外貨市場でのユーロ需要は増加し、実際のユーロに対する為替レートのユーロ高の方向に動いた。ユーロ高予想が実際のユーロ高要因となったのである。逆にそれ以降の変動として、ユーロ安の予想が高まったがためにユーロ安になったこともある。人々が為替レートの将来の動きにどのような予想を持っているかが、現実の為替レートに大きな影響を及ぼすというアセット・アプローチの理論を地でいったわけである。
ユーロが国際通貨として今後どうなってゆくかという問題については、未来の出来事のため推測でしかないが、ユーロの背後にある経済力からみると、徐々に国際通貨としての役割を高めてゆくだろうと思われる。しかしながら、「今後ますますユーロはドルに匹敵するシェアを持つ通貨になる」という意見については、今後のユーロ域拡大に伴う旧通貨消滅、ならびに外貨取引高減少という、ユーロが逃れることができない宿命からいってもそう易々と実現できるものではないと言えるだろう。
通貨統合の時代である現在、ユーロという世界的にも類のない単一通貨を通して私たちがユーロから学ぶべきことは多い。しかし、そのあまりにも特異な構造を持つ通貨であるため、私たちはユーロをもっと冷静な観点から見つめ、論証していくべきだと思われる。
女性に対する性的暴力
―セクシュアルハラスメント・ドメスティックバイオレンス―
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2003 大島 由紀
指導教員 金井 正元
(はじめに)
セクシュアルハラスメントとドメスティックバイオレンスは、ともに、1993年12月に国際連合で採択された「女性に対する暴力撤廃に関する宣言」において、「女性に対する暴力」に含まれる主要なものとして、あげられており、共通しているものがあると感じた。
また、わが国においては、いずれの事柄についても、最近になって、法律の整備が行われたが、まだ不十分な点・問題点があり、前進が求められているように思われる。
(第1章 セクシュアルハラスメントをめぐる法律の概要)
セクシュアルハラスメントは、態様によっては刑法上で犯罪を構成し、また、民法上で被害者は加害者やその使用者(企業)に損害賠償を請求できる。
1999年の男女雇用機会均等法の改正により、セクシュアルハラスメントに関する事業主の雇用管理上の配慮義務を定める規定が新設された。そして、その規定に基づき厚生労働大臣が定めた指針において、(1)職場におけるセクシュアルハラスメントの内容、および(2)事業主が雇用管理上配慮すべき事項が、具体的に示されている。
(第2章 セクシュアルハラスメントにおける加害者等に対する損害賞請求)
セクシュアルハラスメントについては、男女雇用機会均等法の改正による規定の新設の前後を通じ、裁判上で、民事責任の追及・救済が図られてきている。判例の多くは、不法行為(その基本的規定は、民法第709条)に基づく加害者および使用者(企業)に対する損害賠償の請求にかかわる事案である。
(第3章 セクシュアルハラスメントに関する法的規則の不十分な点)
セクシュアルハラスメントに関する男女雇用機会均等法の規定およびそれに基づく指針の内容には、事業主の配慮義務にとどめられていること、対象が女性労働者に限定されていること、実効性を確保する手続きが少ないことなど、なお不十分な点がある。
(第4章 ドメスティックバイオレンスをめぐる法律)
「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(略称「DV防止法」)が、2001年に制定された。同法は、都道府県による配偶者暴力相談支援センターの整備、被害者の保護、裁判所による保護命令の制度などについて定めている。
DV防止法の内容には、対象を配偶者からの暴力に限定していること、対象となる暴力が身体的暴力に限られていること、保護命令が使いにくいことなどの問題がある。
(おわりに)
セクシュアルハラスメントについては、民法・判例と男女雇用機会均等法の改正による規定の新設により、また、ドメスティックバイオレンスについては、DV防止法の制定により、法的対応がなされてきているが、まだたくさんの課題がある。
男女雇用機会均等法の改正の際の国会の付帯決議、DV防止法附則の施行後3年後の検討・措置の規定などの趣旨に沿った施策が講じられることを期待し、これから先も法律の動きに目を向けていきたい。
企業会計原則における継続性の原則と真実性
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2004 小川 千鶴
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:相対的真実性。事実と慣習と判断。正当な理由。
私は、簿記会計関連科目として1年次において簿記基礎、2年次に会計学、税法、3年次に財務諸表論、さらに4年次において管理会計論、国際会計論、コンピューター会計論等を学んだ。その間、3年次の後期に6ヶ月間のインターンシップを体験し、その中で企業経営全般にわたって会計の占める重要性を痛感した。特に、会計処理及び手続においては、コンピューター会計の発達によってその迅速性や正確性は今後ますます高められていくものと予想される。しかしながら、コンピューターによる会計処理はいわば人間の目や手の届かないところで行われるものであり、それだけにチェック機能が発揮しにくいところがある。従来の伝統的会計仕法においてなされてきた内部牽制制度(internal check system)の機能が低下することによって、不正経理が増発していることも否めない事実である。1949年7月に施工された我が国の企業会計原則の主旨は、まさに会計の処理、手続及び報告に真実性を求めたものである。
私の卒業論文に掲げた「企業会計原則における継続性の原則と真実性」の論題は、まさにこの一点にあるといって良い。企業会計に求める真実性とは何か。
財務諸表に記載される数値は「事実と慣習と判断による総合的表現」であるといわれる。この言葉を介して、私は企業会計に求める真実性を継続性の原則と関わらしめて研究しようとするものである。本論は、以下のように構成される。
第1章「企業会計原則の起源」
第1節 ドイツ
第2節 アメリカ
第3節 日本
第2章「企業会計上の真実性」
第1節 絶対的真実性から相対的真実性へ
第2節 相対的真実性
第3章「真実性を支える継続性の原則」
第1節 継続性の原則の意義
第2節 継続性の原則の適用例
第3節 継続性を変更する正当な理由及び変更による注記
まず、第1章においては我が国を含めた各国の歴史を述べ、第2章においては企業会計で求められる真実性とは何かを述べ、第3章においては企業会計原則により、その会計処理及び手続に関して継続性を求めることによってどのような意味の真実性が保証されるのか知ることができる。以上が、私の卒業論文の要旨である。
資本金1円会社の意義と現代の課題
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2005 織原 美由紀
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:最低資本金、週末起業家、創業者
私には将来起業家になる夢がある。それを目指して卒業論文の表題を選んだ。今回、中小企業挑戦支援法の制定により資本金が1円でも会社設立可能となったのである。起業家を目指す者の一人としてこの法制定に注目し、本法制定の背景をはじめとし、概要、本法の特例に基づいた会社設立までの一連の流れ、そして私が目指す「株式会社おたすけパソコン教室」の会社立ち上げシミュレーションについて執筆した。
次に本論の概要について記述する。
第1章
中小企業挑戦支援法の制定においては、2003年2月1日から施行された中小企業挑戦支援法の概要を中心に述べる。この新法により少額資金でも会社が設立可能となり、今までハードルとなっていた最低資本金である株式会社1,000万円、有限会社300万円が5年間の免除となったのである。また、この特例に関して創業者・配当金規制・経済産業局への財務諸表提出等の要件が設けられた。しかし、2005年に商法の改正が予定されており、そこで最低資本金規制の条項が撤廃されることになっている。
第2章
確認株式会社設立の手順においては、本法によって定められた会社設立手続きについて述べる。設立手続きに関する特例や、その特例によって課せられる義務・制限などが設けられている。また、設立登記までの一連の手続きを述べ、その中で最も重要である定款について詳細に述べる。
第3章
マイカンパニー「株式会社おたすけパソコン教室」の立ち上げにおいては、2章で述べた会社設立手続きを基に、立ち上げまでのシミュレーションとして展開していく。事業内容は高齢者を対象とした出張によるパソコン個人指導とし、資本金は20万円でスタートする。
失業問題についての研究
−オランダ・モデルに学ぶワークシェアリング−
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-2007 金子 香織
指導教員 早坂 明彦
今日の日本では、企業倒産や整理解雇によって、職を失う人が増えてきている。2002年では5.4%という「労働力調査」が始まって以来、戦後で最悪の水準に達した。経営運営の最大の目的は、国民生活の向上安定である。したがって、それらを脅かす失業問題は、経済政策の重要課題であると考える。
こういった失業率上昇を止めるためには、仕事を分かち合うことによって雇用を維持・拡大する「ワークシェアリング」という方法を用いれば回復できるのではないだろうか。ワークシェアリングが成功した国としてオランダに注目し、どうすればより良い方向へ前進できるかを考えることとし、研究していくこととした。
まず第1章として、完全失業率がどのようにして上昇していったのかという経緯と、また、男女別、年齢階級別、前職の企業規模・産業・職種・雇用形態別にどのように推移していったのかを調査した。そして、今日の日本の失業は長期化している傾向にあることを示し、なぜ失業者になったのかを求職活動理由別に調査した。その結果として、非自発的離職者が急増していることがわかり、日本が失業状態から脱出するためには、雇用の拡大を図らなければならないことが考えられた。雇用の拡大方法として、ワークシェアリングが考えられる。 第2章では、ワークシェアリングの定義と、その4つの類型を説明することとした。そして、いまの日本にはどのタイプが合っているのかも述べた。
第3章では、多様就業型のワークシェアリングが成功した国としてオランダに注目した。オランダの成功例のことを「オランダ・モデル」という。日本の雇用管理、労働の多様化政策の改革はどのようにしたらいいのかを、この「オランダ・モデル」に注目し、説明した。
第4章では、日経連、連合、政労使のワークシェアリングに対する見解や取り組みなどを挙げ、また、企業の人事部長へのワークシェアリングに対する意見調査結果を取り上げた。
以上のことを研究した結果、今後、わが国では人口の減少が予想されており、雇用機会の増大とともに、年齢や性にとらわれず、だれもが働ける環境を整備していくことが重要なテーマになってくるであろう。こうした状況を考えると、制度や人々の働き方、さらには暮らしをも含めて見直しを進めたオランダの経験から学ぶべきものは多い。そして、オランダが実施した「多様就業型」のワークシェアリングに取り組めば、日本の失業率は改善すると考えられる。
離婚−原因・財産給付・手続き
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2008 川端 馨雅
指導教員 金井 正元
(はじめに)
第1に、離婚の数は増える傾向にあり、1つの大きな社会問題になっている。第2に、離婚に関する法律上の扱いについて、近年、いろいろな動きが見られる。以上のことから、離婚に関する法律問題に関心を持ち、このテーマを選んだ。
(第1章 離婚の原因)
裁判離婚の場合には、法律で定められている一定の離婚原因がなければ、離婚を認めないこととされている(民法第770条)。有責配偶者からの離婚請求については、昭和62年の最高裁判所による判例の変更により、一定の条件付ながら認められるようになっている。平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した民法改正案要綱(以下、「平成8年民法改正案」という。)には、裁判上の離婚原因が「婚姻関係が回復の見込みのない破綻に至っているとき」であることを明確にし、「夫婦が5年以上継続して婚姻の本旨に反する別居をしているとき」をその例示として追加するとともに、裁判所は、離婚原因が配偶者・子に著しい生活の困窮・耐えがたい苦痛をもたらすときなどは、離婚の請求を棄却できることとすることなどが含まれている。
(第2章 離婚の際の財産給付)
離婚の際の財産給付には、財産分与と慰謝料がある。平成8年民法改正案には、財産分与の目的および考慮すべき事情を明確にするとともに、各当事者の寄与の程度は、その異なることが明らかでないときは、相等しいものとすることが含まれている。
(第3章 離婚の手続き)
離婚する方法には、協議離婚・調停離婚・審判離婚・裁判離婚の4つがある。平成15年の人事訴訟法の制定(人事訴訟手続法の全面改正)により、人事訴訟の第1審の管轄を地方裁判所から家庭裁判所に移管することとされ、今後は、裁判離婚も、調停離婚・審判離婚と同じく、家庭裁判所で処理されることとなった。
(第4章 その他の離婚法制の改正)
離婚後における親権者とならなかった父母の一方と子との面接交渉については、(現行法には規定がないが、)平成8年民法改正案に、その規定を設けることが含まれている。また、平成15年の民事執行法の改正により、(離婚後における子の養育費など、)扶養義務等にかかる金銭債権については、(現行法では支払日が過ぎた分しか差押えの対象にならないが、)将来支払うべき分も差押えができることとされている。
(おわりに)
離婚法制についての近年の動きは、基本的に、望ましい方向に向かっていると考えられる。そうした観点からして、平成8年民法改正案(政府与党内に、そこに含まれている(選択的)夫婦別氏制度の導入に対する批判があり、改正法案は、政府から国会に提出されるに至っていない)の内容の早急な実現を期待したい。さらに、最近、年金制度の改正に関連して検討されている、離婚に際して年金受給権を夫婦で分割できる制度についても、関心を持って行方を見守りたいと考える。
バブル経済崩壊後の不動産取引について
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-2009 吉藤 聡美
指導教員 甲斐 聡
このテーマに取り組もうと思ったきっかけは、もともと不動産業界に興味があったことと、不動産会社にインターンシップに行ったことである。初めは不動産業界がどのようなことをやっているのか、おおまかなことしか知らなかったが、実際に不動産会社で働いてみてこの仕事は、業務プロセスでかなり自分の考えや意見が影響するのだと知り、面白みを感じ興味を持った。
そこで、バブル期にどのようなことをしていたのか、バブル経済の歴史を踏まえて、現在の不動産市場の現状やこれからの不動産業界の課題などを調べてみようと思う。
第1章では、バブル経済の前史としてその歴史をたどり、「バブル」とは何か、そのきっかけは何かを述べており、第2章では、バブル経済の発生から崩壊までの流れとバブル期に起こった出来事や世の中の動き、バブル経済の中から生まれた「土地神話」について述べている。第3章では、バブル崩壊後の影響としてどのようなものが残されたのか、「プラス遺産」と「マイナス遺産」という言葉を使って表現し、バブル崩壊後に顕在化した不祥事について、また、そのことからどういった対策を採ってきたのかを述べている。第4章では、不動産業界の反省として、(1)には消費者保護の法律についてと不動産取引を円滑に進めるための法律を挙げ、(2)においては不動産市場の現状として、地価・住宅市場・マンション市場の動向を述べている。また(3)には、政府が導入した「定期借地権制度」と「定期借家制度」について、その内容と効果と今後の課題を述べており、更に、近年普及され始めている「不動産の証券化」について、証券化とはどういうものか、そのメリットと現状を述べ、土地の情報の必要性と不動産市場の整備はどのように行われているのかについて述べている。
その結果、バブル期には企業も消費者もハイリスク・ハイリターンという鉄則を忘れて、お金儲けに走り、バブル崩壊後はそういった企業が倒産していることが分かった。また、バブル崩壊の影響により、今まで見えなかった問題が顕在化し始め、地価・株価が暴落したことから株式市場・不動産市場が活性を失い、日本は不況に陥っていることも理解できた。
また、不動産業界としては、バブル期に大きく成長したものの、バブル崩壊後は地価が暴落したため、不動産市場は低迷し、消費者からはバブル期のイメージを持たれたままであり、不動産共同投資事業等で問題が生じたことから、「不動産特定共同事業法」が制定された。また、宅建業法の改正・消費者契約法の制定もあり、不動産市場が徐々に整備されてきている。
こういったことから、現在では株式市場・不動産市場の活性を取り戻すために、いろいろな対策が採られている。しかし、地価はいまだ低迷し続けているが、不動産市場としては、「定期借地権」や「定期借家権」の導入や、不動産市場を整備し、法律を改正し消費者保護をすることにより、事業の活発化と土地の有効利用を実現すること、不動産の証券化の更なる普及を目指すことで、不動産市場の適正化を進めていくことを期待したい。
企業会計原則における正規の簿記の原則
−真実性との係わりについて−
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2010 小暮 亜矢子
指導教員 長嶋 義貴
キーワード 網羅性 重要性 簿外資産
株式会社の会計は、個人事業の会計と異なるところが多々ある。最も大きな違いは、資本の調達と資本の運用により獲得した利益の処分である。株式会社はそれらの業務を株主(企業の所有者)から委託された経営者(取締役や監査役)によって行われる。そこに、「出資と経営の分離」の株式会社の企業体が存する。従って、業務を委託された経営者は一定期間ごとに決算を行い、資本運用の状態と運用の成果をそれぞれ貸借対照表と損益計算書を以って株主(出資者)などの利害関係者に報告する会計責任を負っている。それらの財務諸表が提示株主総会において承認された時、経営者の会計責任が解除されるのである。私は、その会計責任が解除された時に、会計の真実性が認められたものと思う。
小論においては、企業会計に求められている相対的真実性を支える1つとしての正規の簿記の原則について論究したものである。
次に本論の概要について記述する。
第1章「企業会計の歴史」においては、第二次世界大戦後のわが国の経済社会の復興・再建と近代化を目指し、数々の願いをこめて成立するにいたったことを知った。また、わが国の企業会計の発展に多大な影響を与えたアメリカの歴史についてもふれた。会計原則の発展の歴史は、アメリカから始まり、1929年の経済大恐慌を契機として、「投資家のための会計」という要請が広く一般化していった。「会計5原則」は投資家保護を目指して会計の守るべき5つの原則を勧告したものである。これは、会計原則の最初の試みであり、これを契機として、会計原則の提案がはなばなしく展開されたのである。また、SHM会計士原則は、わが国企業会計原則の制定に与えた影響はきわめて大きいとされている。
第2章「企業会計原則の意義とディスクロージャー」においては、財務会計情報が信頼性を持つための企業会計原則とはどういったものなのか、企業会計原則の役割などを挙げて説明している。
企業の社会的責任を明らかにするためにも、企業の経理内容を広く利害関係者に対して公開し、会社の状況に関する利害関係者の判断を誤らせないようにする事が必要です。ここにディスクロージャー(企業内容の開示)の意味があり、その手段として作成されるのが財務諸表にほかなりません。
第3章「企業会計原則を支える真実性の原則」においては、絶対的真実性と相対的真実性を論究した。真実性の原則は、企業が経営成績および財政状態を利害関係者に対して報告する場合、「真実な報告」を提供すべきことを要求する原則であり、それが「一般原則」の最初に置かれていることからも推測できるように、それ以外の他の諸原則の上に位置するところの総括的な基本原則であると考えられる。また、絶対的真実性と解する立場から相対的真実性と解する立場へと変ってきているということができる。
第4章「正規の簿記の原則と重要性の原則」においては、企業会計の真実性を確保するための原則として正規の簿記の原則の説明をしている。重要性の原則は設例を掲げて説明をしている。
一般原則二、正規の簿記の原則によれば、「企業会計は、すべての取引につき、正規の簿記の原則に従って正確な会計帳簿を作成しなければならない」。と指示されている。つまり、「正規の簿記の原則」にもとづき「正確な会計帳簿」を作成すべきことが要求されている。「正規」の意味は、利害関係者に対して公表する財務諸表を作成する資料として適格性があることをいう。企業会計が、「真実な報告」を達成するためには、まず、財務諸表を作成する前提となる取引の帳簿記録が正確でなければならないため、簿記の記録面の原則が必要となる。取引の記録が秩序的になされてはじめて財務諸表による「真実な報告」が可能となるため、正規の簿記の原則にもとづく記録面の基本原則が要求される。
以上が私の卒業論文の要旨である。
仏教精神に基づく自己マネジメントについての考察
現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2011 酒井 彩
指導教員 茂木 和行
福井駅から越前平野を東に進むと、行く手に山々が近づいてきた。バスからの山並みに目をやると、緑というよりも黒々とした樹木が目に飛び込んでくる。杉並木の参道を抜けると、山懐に抱かれた曹洞宗大本山、永平寺に着く。
私がこの永平寺の門を訪れたのは、七年前のことだ。そのころ、自分自身のいく道に迷い一日一日がただ過ぎていくことに苛立ちを覚えていた時である。
人は、なぜ生きているのか。何のために生きているのか。ただ、退屈で無機質な時間を過ごすのに意味があるのか。間々なら無い現実という壁を前に途方にくれていた。そんな折、父に「自分に素直になることを覚えなさい」と言われ、坐禅を組みに永平寺の門を叩いたのである。
禅僧の一日は、畳の上に黙して座し、食し、眠ることで殆どを占められる。その目的は、神に自分の存在を全て捧げるというものではない。曹洞宗の禅僧の修行は、彼らひとりひとりの、人間としても生き方の究極追求なのだ。
より良い生とは何なのか。その定義は文化や教義、個人によっても様々であるだろう。一人ひとりが一生懸命自分で道を歩む、仏道の道、自分の生活、生きる道を進んでいくというときの実践の中身とは何であるのか。
われわれが、人生の道を歩んでいくときの心構えとして、非常に手短なわかりやすい言葉で「向上の一路」というのが昔から用いられている。
「向上一路 千聖不伝 学者労形 如猿捉影」
(盤山宝積)
人生は向上の一路である、そうあるのが願わしいという。その道というものは「千聖不伝」。千人の聖者がいろいろ教えてくださるだろうけれども、そのぎりぎりのところは伝えていただけない。それは各々の人が体得するべきものであると説かれた。教えとしてはいろいろあるかも知れないが、生きていくということは一人ひとりの問題として、自分でやるよりしようがない。
「学者労形」、学者というのは学ぶ人あるいは、修行に勤める人という意味だが、実際に苦心している人といってもよいだろう。いろいろ形を労してああだこうだと説いていうけれども、本質を伝えてくれない。譬えて言えば、水面に映っている月影を猿がとらえようとしてもとらえ得ないようなものだ。
絶対のもの、尊いものは何だと自分で求め、そして理解したことを伝える。けれども、月を指すだけであって、月そのものを伝えることにならない。学者は言葉を用い、あるいは種々の記号を使っていろいろ苦労しているけれども、究極の道は、伝えられない。それは各々の人が体得すべきことであるのだ。
本当の実践を求めるためには、昔からの聖者の説かれたものを手引きとして進まなければならない。しかし、それはどこまでも手引きであって、当人、自分自身が苦労して体得すべきであると理解すべきことが大切なのである。
「向上の一路」とは、それなりの立場で、それなりの自分が納得した正しい生き方をする。その中に、和顔愛語もあるだろう。気張るのではない。しかし、努力しながら生きていくということなのだ。
私が坐禅の実践の上で教わったことは、「水の如く」というひと言であった。不満やストレスの要因は僧であれ俗衆であれ少なからず持っているものだ。それら全てに対決せず、水の如く流れる。無限の時間という大河の流れ、生けるものの命の流れに、水のように従うこと。流されるのではなく、ともに流れるということ。「無我」とは何も考えないことではなく、思考の流れにすらまかせることであるという。そして水の流れは、ときに岩をも穿つ力を持つのだ。
夜、絶えず流れ続ける思考の中で、ふと抵抗をやめていた。疑問も不安も過去に対する悔恨も、すべてが大きな流れの中にあったのである。気がつくと、私は胸がいっぱいになっていた。悲しいわけでも辛いわけでも、また嬉しいわけでもなかった。ただ、様々な顔や姿を持つ自分という人間と静かに対座し、体から流れるもの、音や匂い、思慕あらゆる物を、流れにまかせていた。
個は全であり、全は個。全は禅を通じて個に宿り、個は禅によって全とひとつとなる。たたみ半畳という宇宙の中で、私が感じたことである。父が言った「自分に素直になれ」ということは、正直な自分自身、内面の自分と相対してみろということだったのだと知ったのである。
以上のことを、
第一章 禅の修業体験
第二章 ドラッカーにみるビジネス修行体験
第三章 向上一路に生きる人のこころ
上記のとおり考察した。
百貨店の顧客戦略について
―三越の事例を中心として―
現代ビジネス学科 マーケティングコース 00-2012 酒井 春菜
指導教員 由井 真人
三井高利が1673年に創業した「越後屋呉服店(現在の三越百貨店)」が、日本の百貨店の前身である。1904年12月21日、日本に「百貨店」と呼ばれる店が登場する。前述の越後屋から転身した三越呉服店である。三越呉服店はアメリカのデパートメントストアをモデルに品揃えを強化し、百貨店の座を強固なものとした。
百貨店は、伝統百貨店と新興百貨店、あるいは都市型百貨店と地方型百貨店に分類されている。現在百貨店協会に加盟している百貨店は96社、278店舗ある。百貨店全体の売上高は、2003年10月で6757億円となっていて、小売業における百貨店のシェアは平成11年時点で9.4%である。都市型百貨店と地方百貨店とで見ると、都市型百貨店が3686億円(構成比54.5%)、地方百貨店が3071億円(構成比45.5%)であり、6大都市だけで全国の百貨店売上高の半分以上を占めている。
1950年、それまで日本政府に提供させられていた店舗や売り場が返還され、百貨店は営業を再開した。時を同じくして朝鮮戦争が勃発し、日本は特需景気に突入していく中で、知名度、営業能力、仕入れ能力に長けている百貨店は、営業を拡大して売上と収益を増大させ、メーカーに対しての発言力を高めていった。
1953年、東京・青山に紀伊国屋1号店、57年にダイエー、58年にイトーヨーカ堂といった大手スーパーマーケットが誕生した。スーパーマーケットは次々と店舗を開設し、小さいながらも一つの勢力へと成長していった。60年代に入って高度成長期が到来すると、何もせずともモノの売れる状態となり、百貨店は今まで日本の小売業界の王座にいたことに安心してしまった。この時期にあっても経営努力を怠らなかったスーパーマーケットは、世界でも類を見ない急成長を遂げたのである。
1965年には、スーパーマーケットは百貨店と同格で競合できるぐらいまで成長してきた。マーチャンダイジング政策(商品政策)や、独自の情報・流通システムの開発で、商品の安定供給を確保し、価格決定権を握っていることから、小売業界に価格破壊の旋風を巻き起こした。さらに、多店舗化に拍車を掛け、商品納入を拒否するメーカーに対しては力で対応する戦略を取り、大量販売力を武器に一社ずつ味方につけていった。
そして1972年、三越がダイエーに小売業首位の座を明け渡したことに象徴されるように、これまで小売業のトップの座をほしいままにしてきた百貨店は衰退していく。この逆転劇以来、スーパーマーケットと百貨店の売上格差は開くばかりで、現在も変わっていない。
百貨店低迷の要因として、いろいろな要因が言われているが、特に百貨店に特徴的な外的要因として、バブル崩壊後の不景気と、それに伴う消費者の価値観の変化があげられる。
また、内的要因としては、仕入取引業者に対する優位性の下で、買取仕入を出来る限り押さえ、当たり前のように返品を行い、売れ残れば返品が出来ることを前提に販売を行うという取引慣行、派遣社員にたよった販売業務、来店客増加にはつながっていない新規顧客獲得のためのカード募集キャンペーンなどがあげられる。
しかしながら、百貨店が今後存続していくチャンスは、探せばまだまだあるはずである。少子高齢化社会、パラサイト・シングル、都心回帰現象などの社会環境の変化、人々のライフスタイルの変化は、百貨店の再生を後押しする要因になりうると思われる。
百貨店再生に向けて、幾つかの提言を行った。
一つは、顧客数を増やすだけでなく、顧客の質の向上、すなわち大口顧客の増加を目指すことである。
次に、なによりもまず、消費者が何を求めているのかを知ることである。
そして具体的には、今後の百貨店の顧客ターゲットだと思われる高齢者、パラサイト・シングルを狙った売り場作りをするべきである。また、百貨店バイヤーの商品選別眼を磨き、返品を当たり前とする仕入れなどの取引慣行は即刻止めるべきではないだろうか。
百貨店は、今こそ顧客第一主義という小売業の原点に戻るべきである。そのために、今後来るべき少子高齢化、都心回帰、パラサイト・シングルなどの社会の変化を的確に捉え、自身の追い風とし、事業の再構築を行うべきであると思う。
貸借対照表の機能と重要性
現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2013 佐藤 真生
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:口別損益計算と期間損益計算,時価会計,財政状態
小論は「貸借対照表の機能と重要性」を題目とする卒業論文として論述したものである。
第1章の貸借対照表の生成では、会計の歴史について述べており、15世紀、メッセ(messe)をまわって行われる冒険貿易(joint venture)が17世紀に入り、店舗を構えた定住商業へと商業活動を一変させていった。かくして、企業会計は口別損益計算から期間損益計算へと性格がかわり、決算貸借対照表を作成する必然性が生まれたのである。決算貸借対照表の成立によって、初めて近代的企業会計制度は確立したのである。
第2章の二つの貸借対照表論では、貸借対象表の二つ異なる作成目的をあげており、第1節では財産計算を主目的とする「静態論」、第2節では損益計算を主目的とする「動態論」を述べている。「静態論」とは、企業が保有するすべての資産と企業が負担するすべての負債を貸借対照表に計上し、資産評価に決算日の売却時価をとるというものである。
「動態論」(本節ではシュマーレン・バッハのドイツ動態論という)とは、貨幣の流れである収入・支出と、財貨の流れを表現する収益・費用を結びつけて、一つの損益計算体系が樹立されているものである。今日の貸借対照表は「動態論」で行われている。第3節では、「棚卸法」、「誘導法」という異なる二つの作成方法を述べている。「棚卸法」とは、すべての資産および負債を実地調査し、財産目録を作成し、これに基づいて貸借対照表を作成する方法であり、「誘導法」とは、組織的な複式簿記の記録を基礎にして、そこから誘導して貸借対照表を作成する方法である。
第3章の貸借対照表の意義と主要項目では、第1節に貸借対照表の本質をあげており、1に財政状態の表示、2に貸借対照表完全性の原則と重要性の原則を述べている。財政状態の表示とは、まさに貸借対照表の機能をいい、一定時点において企業に属するすべての資産・負債および資本の項目を一表に集めて表示することにより、企業の財政状態を明らかにする表のことである。貸借対照表完全性の原則と重要性の原則とは、貸借対照表に記載されるべき項目は正規の簿記の原則にしたがった会計手続によるものであり、したがってこの完全性は、期間損益計算の過程で生じた帳簿上の残高項目を完全に収容することを意味するものである。そこには、重要性に乏しい事項について簡便な会計処理をすることを正規の簿記の原則が容認することはいうまでもない。第2節には、貸借対照表に記載される項目をあげており、資産の部、負債の部、資本の部について述べている。
EUとフランス
−ミッテランの実験とその失敗、フランスの路線転換が生んだユーロ−
現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2014 高橋 明子
指導教員 村瀬 満男
ユーロ導入に象徴されるEUの軌跡は、第二次世界大戦後、一貫して欧州諸国が取り組んできた大きな実験でもあり、実践の歴史でもある。EU構成国は1970年代の初めから通貨協力(為替相場協定)を約30年間継続してきており、基軸通貨ドルの変動にEU諸国経済が翻弄される状況を域内固定相場制によって回避しようとした。しかし、それは簡単なことではなかった。ドイツに代表される物価安定路線とフランスに代表されるインフレ許容的成長路線との対立をはらんでいたが、第一次石油ショックに直撃され、1970年代の「スネーク」は挫折した。そこで得た教訓は経済体質が大きく違っていては、域内為替相場の安定はないということだった。フランスは79年の欧州通貨制度(EMS)発足に際して政策を転換、保守派のジスカールデスタン大統領、バール首相のもとで「強いフラン」を掲げ、体質改善をねらったが、おりからの第二次石油ショックもあって失業率が上昇、81年5月、同政権は退陣に追い込まれる。
かわって登場した社会党と共産党を中心とする左翼連合のミッテラン大統領は「失業減らし」と「国有化」を掲げ、主要企業の国有化や大幅な財政支出を行った。国有化企業による設備投資とばらまきによる家計収入の増加で一挙に景気を上昇させるというものだった。アメリカではレーガンがイギリスではサッチャーが新自由主義を掲げ、ケインズ政策に決別をつげているなか、あえてケインズ主義をとったわけである。
しかし、この政策はインフレの高進、失業増、財政赤字が増大、国際収支の悪化などさんたんたる結果に終わった。フランは三回も切下げに追い込まれ、EMSは大きく揺らいだ。EMS離脱も検討されたが当時の蔵相ドロールなどの進言により、フランスは大きく政策転換を行った。ドイツ同様にインフレ抑制が第一となった。バール政策への回帰である。
左翼連合の大統領による保守派の政策。ミッテランならではの大胆さである。第四共和制時代、首相が右派、中道、左派と変わろうといつも閣僚の地位を保つ変わり身の早さ。時代の流れを鋭敏にかぎわけ、状況に対処する柔軟さ。「七つの顔」といわれた政治家ならではの行動である。この転換がなければユーロもなかったろう。
その後、フランスでは革新の大統領に保守の首相、あるいはその逆の組み合わせというコアビタシオン(保革共存)時代に入るが「強いフラン」政策は一貫して続けられ、次第に経済の体質は改善されドイツを追い上げる。そのドイツは1990年の統一による旧東ドイツヘの援助にともなう財政支出の増大などもあって、経済の体質が悪化する。上り坂のフランスと下り坂のドイツ。この両国が交差したのがちょうどマーストリヒト条約の検討を始めたときだった。偶然だというつもりはないが、歴史のめぐり合わせを感じる。
自動車の成立と自動車産業の歴史
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-2015 高橋 翼
指導教員 島田 薫
今日、自動車は私たちの日々の生活に溶け込み、単なる輸送手段としてだけでなく、日本の経済活動を支える重要な存在になっている。
「自動車はヨーロッパで生まれ育って、やがてアメリカに渡って初めて本格的な産業となるにいたった。」世界初の自動車は1765年フランスのニコラス・キュニョー(Nicolas Cugnot)が開発した、蒸気を原動力としたものに始まり、ガソリン、電気、ディーゼルの順に開発された。それらのうち、現在の主流でもあるガソリンエンジンが最も効率が良いことがわかると、開発競争の主力となっていった。
フォードは流れ作業によって大量生産システムを確立し、アメリカに自動車を普及させた。当時のアメリカでは、自動車は高所得者層に限られたもので、一般市民が購入できるものではなかった。大量生産システムによって効率化された組立ラインは、コーストの削減に大きく貢献し、一般の市民でも買うことの出来る価格を実現した。クルマ社会の扉を開いた「T型フォード」の誕生である。しかし、1927年に自動車市場が飽和状態になり、T型フォードの生産は中止された。そしてフォードに代わって成功を収めるのは、顧客をいくつかの所得層に分け、それぞれの所得層向けの車種を投入したGMである。
GMの目標はいかにしてフォードに勝つかであった。GMは最も幅広い製品ラインを持っていたため、単純なT型フォードの人気が衰え始めると、自動車を買い求める人々はGMを支持し始めた。大量生産システムを確立したフォードに対して、自動車の大量販売と多彩な車種を投入することでマーケティングを実践したGMは、1920年代から約70年間にわたって世界一の売上を誇る企業に成長したのである。
一方、トヨタは既に欧米で確立された大量生産システムによるつくり過ぎをムダと考えた。トヨタ生産方式において重要な役割を果たすのが、「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」である。アメリカのフォードやGMが推し進めてきた大量生産は、それによって自動車の大衆化に成功したが、一方で処理できない在庫を抱えていた。先の2社に比べると成功が数十年遅いトヨタだが、多種少量生産で今までにない生産方式を開発・実現したことが、大幅なコースト削減に結びついた。トヨタは独自の生産方式を築き上げ、自動車販売台数ではGM、フォードに次いで世界第3位まで成長した。
自動車という乗り物が誕生してから100年が過ぎ、自動車業界は世界の自動車メーカー同士の合併・提携によってグローバル化が進む中、新たな転換期を迎えている。自動車は私たちの暮らしになくてはならない存在となり、生活や文化の発展に大きな役割を果たしてきたが、とてつもないエネルギーを消費して、環境に負担をかけているのも事実である。これからの自動車産業が成熟したものになるかどうかは、自動車そのものの改善、低公害車の開発・導入・普及と、国や自動車メーカーの対策に頼るだけではなく、私たちユーザーも自動車に関する知識を増やし、その上で行動に移すことが必要なのではないだろうか。
現在、地球上を走る自動車は、およそ7億4,000万台といわれ、今後も増加していくと予測されている。したがって、今後ますます自動車産業界には、エネルギーと環境に配慮した取り組みが要請されていくだろう。
ウェブデザインの研究
人文学部 現代ビジネス学科 経営文化コース 00-2017 竹村 彩香
指導教員 五藤 寿樹
本論では、ウェブデザインの中の女性誌ホームページの比較研究を行う。
インターネットが普及することによって、ホームページが膨大に作られるようになった。それだけでビジネスとして、顧客を引きつける力を持っている優れたホームページもあるが、逆に、劣ったホームページは、ビジネスチャンスを潰してしまうものも多い。ビジネス的にいかに顧客を引き付け、ホームページが活用されるということが重要である。
優れたホームページを研究するために、ユーザビリティについて調査し、その評価法について研究を行った。評価法の検討から、ヒューリスティック調査法が今回の研究で適していることを理解した。調査のホームページの対象を女性誌のホームページとし、ヒューリスティック調査法による調査項目を独自に作成し、女性誌を対象としたユーザビリティ評価を行った。
第1章では、ユーザビリティとアクセシビリティについて考察した。ユーザビリティとは、ソフトウェアやWebサイトの「使いやすさ」のことで、様々な機能になるべく簡単な操作でアクセスできることや、使っていてストレスや戸惑いを感じないことなどが、優れたユーザビリティにつながる。また、国際規格における定義と、ニールセンによる定義の2つを検討した。アクセシビリティとは、アクセスのしやすさで、例えば身体に障害のある人や、加齢により身体機能が低下している利用者であってもアクセスが可能なホームページデザインのことである。
第2章では、ユーザビリティ評価方法には、定量的評価方法と定性的評価方法に大きく分けられることができる。そのうち、ユーザテスト、ヒューリスティック調査法、アンケート調査法、アクセスログ解析の4点に着目して考察した。
第3章では、雑誌用Webサイトのガイドライン30項目を、サイトの目的・コンテンツ・ナビゲーション・グラフィックス・ウィンドウ構成の5つの評価項目に分けてガイドラインを作成し、それを利用して評価を行った10代から30代の女性が良く見る雑誌である。今回調査した雑誌はViVi、non-no、Ray、CanCam、Oggi、mina、LUCI、junie、MORE、withの10のホームページの比較研究を行った。
研究の結果、総合的に最も優れていたホームページは「LUCI」であった。読者にとって読みやすく、興味が持てるユーザビリティの高いホームページを作ることによって、その雑誌を購買したことのない人が新しく読者になることもある。比較した中では「LUCI」の得点が最も高かった。サイトIDの大きさ、クリックした時に別のページへ行かないような工夫、プライバシーポリシーの厳守、最近までホームページ上で取り上げられていたコンテンツに、アクセスできるなどと優れている。今後は、障害者の方でも見られる対応をすると良いと思う。今回は女性誌のホームページだけに的を絞って研究したが、次は業種ごとにいくつかの企業のホームページを比較してみようと思う。又、業種によるホームページの完成度の違いなども比べてみると、興味深い。
三越百貨店についての研究
−地方都市に立地する千葉三越店と他の業態店舗との比較を通して−
人文学部 現代ビジネス学科 企業マーケティングコース 00-2018 西ア 景子
指導教員 石原 孝臣
百貨店は大規模小売店のなかで歴史が最も古く、高級なイメージと高い信用力によって発展してきた。しかし、かつては圧倒的な売上を誇っていた百貨店だが、最近では消費者ニーズの変化や多様化、スーパーやディスカウントストアの安売り商法によって顧客が奪われ、百貨店は厳しい状況に陥っているのである。
私は千葉三越店でインターンシップを経験し、業務にあたる中で様々な疑問がうまれた。それは中高年層のミセスをターゲットとした売場構成や商品戦略に対して、もっとファッションに関心の高い若者が好む店づくりをするべきではないのか、また、百貨店=高級品というイメージがあるが、はたしてそれは消費者のニーズにあっていたのだろうか、低価格競争が進む中で、このままで百貨店は生き残っていくことができるのか、ということである。
そこで、刻々と変化していく小売業界で勝ち残るため、今転換期に差し掛かっている百貨店が、スーパー、専門店、ショッピングセンターなどのこれらの新興勢力に対して、どう巻き返しをはかるのか、百貨店の現状と課題について調べるとともに、インターンシップ研修先の千葉三越店と他の業態店舗とを比較しながら、今後の百貨店について研究した。
まず千葉三越と、同じ千葉駅周辺に立地する店舗とを色々な角度から比較したところ、立地、店舗規模、商品の豊富さなど、千葉三越は他店に比べて劣っているところも多く、地域一番店ではないことがわかった。また総合スーパーとの比較では、百貨店と類似する部分も多かったが、スーパーには低価格という魅力があった。比較を通して、百貨店の姿が曖昧になっていることに気がつき、百貨店が生き残るためには、本来持っている魅力や強みを伸ばして、他店舗との差別化をはからなくてはならないと感じたのである。
他店舗との差別化をはかるには、商品や顧客を絞り込み、より個性的な店づくりをすることが必要であり、千葉三越がターゲットとする客層は、団塊世代を中心とした中高年層で、その年代のニーズに的確に応えた商品戦略をするべきだと考えたのである。
団塊世代は人口のボリュームが多く、経済的にも豊かで、消費意欲も高く、有望な顧客層であり、消費行動も団塊ジュニアの娘との買物や、旅行や趣味など、知的好奇心が旺盛で、今後高い需要が期待さるのである。そして、長年の生活を通して目の肥えた中高年層は、自分なりの価値観を確立し、ワンランク上の商品とサービスを求めている。そのようなことから、百貨店が目指す位置はハイエンドな部分であると考える。
また百貨店の役割は、ただ豊富な品揃えをして商品を売ることだけではなく、新しいライフスタイルの提案や、その商品を実際に使う場や、人との交流の場を提供するなど、トータルなプレゼンテーションを行うことが重要である。
百貨店は、顧客に対する質の高いサービス、時代を先取りした感性、そして商品編集の魅力という百貨店らしさを追及するとともに、刺激と幸せを提供できる空間であることが望まれるのである。
国際航空貨物運送におけるCarrierとForwarderの比較研究
現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-2019 原嶋 理恵
指導教員 青柳 由紀江
航空貨物運送は、貿易立国である日本にとって今や重要運送手段となり、CarrierとForwarderは、この航空貨物運送業界の担い手として活躍している。Carrierは航空会社であるのに対し、Forwarderの業種が不明瞭であったため、本論文では、両者の比較により、Forwarderの実体及び航空貨物運送業界における存在意義を明らかにすることにした。
Carrierは、自社便により航空貨物運送を行う「航空会社」である。それに対し、Forwarderは、個々の荷送人より集めた小口貨物を混載貨物に仕立て、Carrierの運送手段を利用して貨物運送を履行することから「混載業者」若しくは「利用運送人」と呼ばれ、更に国際条約の「グアダラハラ条約」では、Carrierの「実行運送人」に対し、「契約運送人」という言葉も生まれている。Forwarderは、その他にもCarrierの代理人として「航空貨物代理店業」も兼業し、Forwarderは多彩な顔を持つ航空運送人となっている。
CarrierとForwarderの法制に関しては、Carrierは「航空法」、Forwarderは「貨物利用運送事業法」で規定されている。この法律の誕生により両者の法的性格は明確にされた。
またCarrierが荷送人と直接運送契約を結ぶ「直送貨物」の場合、CarrierはMaster Air Waybillと呼ばれる航空運送状を発行する。一方Forwarderが仲介人となり小口貨物を集め大口貨物に仕立てる「混載貨物」では、荷送人と運送契約を結んだ際にForwarderは、House Air Waybillと呼ばれる航空運送状を発行する。その後、Forwarderが自ら混載貨物の荷送人となり、Carrierと運送契約を締結し、CarrierからMaster Air Waybillを受け取る。なお、運送契約を結ぶことは運送責任を負うことでもあり、Carrierは「へ一グ改定ワルソー条約」において「Airport to Airport」の範囲、Forwarderは「国際利用航空運送約款」では、「Door to Door」の範囲で運送責任を負うと明瞭に区別されている。
航空貨物運賃については、Carrierは貨物が重くなればなるほど割安になる「高重量段階低賃率」を採用している。Forwarderはその制度をうまく利用し、荷送人から小口貨物に対する運賃を収受し、その合計からCarrierに混載貨物分の運賃を支払い、残額を収益としている。またForwarderに貨物運送を依頼すると荷送人は、Carrierに直接、依頼するよりも安い運賃で済み、Carrierにとっても貨物の集配その他の運送付随業務を省くことが出来る。すなわちForwarderの存在は、荷送人、Carrier、Forwarderの3者共に利点を与えるということであり、Forwarderの今日の発展はここに大きな鍵があると言えよう。
今日、航空貨物運送業界は飛躍的な発展を遂げ、今後も益々拡大する傾向にある。Carrier及びForwarderは、生き残りを掛け新事業を展開し始めている。Carrierはより専門化し、「貨物専用航空会社」を設立したり、Carrier間の業務提携も進めている。一方、Forwarderは、荷送人と提携を組んだ新サービス推進し、遂には「インテグレーター」と呼ばれる自社便を持った強豪運送事業を開始し、CarrierとForwarder両者の関係は共存から競合相手となった。これまで業務上の分業の上に成り立っていた両者の共存体制が崩れ始めているのである。特に次々に事業を多角化していく大手Forwarderは、既存のCarrier及びForwarderを脅かす存在となり、CarrierとForwarderの境界線は失われていくであろう。
相続税・贈与税の原点と相続時精算課税制度
現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2020 松澤 温子
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:限界効用逓減の法則 相続税の概算払い 暦年型分離課税制度
小論は第一章において、相続時精算課税制度を理解する上で重要な相続税、贈与税の概要について述べている。
相続税、贈与税では、主に2つの事に大きな疑問が投げかけられている。それは、所得税とは別に、相続時と贈与時に2度その財産に課税されるというものである。それによって、相続税、贈与税は二重課税という主張がある。では、二重課税と言われるように、なぜ2度も課税されるのかという疑問が当然湧いてくる。そして、もう一つの疑問は相続税及び贈与税に対する税率が所得税や法人税等に比して極めて高率ということである。平成15年度の税率改正により相続税、贈与税とも最高税率が70%から50%に軽減された。しかし、この税率で果たして適性といえるのだろうか。これらの疑問について触れながら課税根拠等重要な事柄について相続税の原点から始まり、相続人の範囲や相続割合について述べている。
第二章では、相続時精算課税制度の本質と税額計算について述べていく。
平成15年1月1日から施行された相続時精算課税制度がどのような仕組みなのかということ、そして導入された理由などの本質を含め納税までを見ていく。
税率の改正により暦年型分離課税制度においても相続税、贈与税が最高税率70%から50%に変わっているので、相続時精算課税制度との比較をすることで、より適切な制度の選択を手助けできるのではないだろうか。そこで、様々なケースにおいて税額の変化はあるが、1例を取り上げて、従来の暦年型分離課税制度と相続時精算課税制度を選択した場合との税額を比較計算してみる。
以上が小論の要旨である。
学校経営における学校評議員制度の位置づけ
人文学部 現代ビジネス学科 国際ビジネスコース 00-2021 村瀬 裕美
指導教員 甲斐 聡
このテーマは、インターンシップで浦安市役所へ行き、配属になった教育総務部学務課で、浦安市における全小・中学校20校の学校評議員制度についてのアンケート作成、依頼、発送、集計、そしてプレゼンテーション用の資料作成まで全てを任せて頂いたことがきっかけである。その際、浦安市だけではなく、様々な地域において学校評議員制度についてどのような取り組みをしているのか興味を持ち、調べてみようと思った。
学校評議員とは、1998年の中央教育審議会答申「今後の地方教育行政の在り方について」を踏まえ、我が国で初めて地域住民の学校運営への参画の仕組みを新たに制度的に位置づけたものである。特色ある学校づくりへの取り組み、「総合的な学習の時間」などへの支援、子どもたちの地域ぐるみの育成、地域の行事や福祉施設等との連携、これらの導入により地域と連携した教育活動が活発になると期待される。
その必要性について、当時の文部省は、学校教育法規則等の一部を改正する省令を公布(2000年4月1日施行)し、地域住民が学校運営へ参画できる仕組みを制度化した。この改正を受けて、多くの学校で学校評議員制度の試行や研究が進められている(学校教育法施行規則第23条の3)。地域住民が学校運営へ参画できる仕組みを制度化したのには、社会的背景があったからである。それは、1985年、東京都中野区の中野富士見中学校で起きたいじめによる自殺事件である。そこで学校側の責任はどうなるのか、安全保持義務違反の判断基準についての考慮が必要となった。
学校評議員制度の目的と意義については、受験競争の過熱化、いじめや不登校の問題の深刻化、青少年の非行の増加、家庭や地域の教育力の低下など、これらの問題への一つの対応として考えられてきたのである。
その活用について、校長が保護者や地域住民から学校の教育活動についての意見を聞くことができる場を、また逆に校長が保護者や地域住民に学校の教育活動について説明する場をそれぞれ確保するため、その仕組みを制度化したものである。東京都立学校においては、学校に対する外部評価が含まれ、「評価委員会」を置くことが義務づけられている。更に、その仕事については、校長が行う学校経営に関して意見を述べるというものである。学校の外にいる者が学校経営の方針や計画、及びその結果を聞き、必要な助言や意見を述べ、今後の校長の経営活動と学校経営に活かそうとするためである。
浦安市における学校評議員の人選については、同市全小・中学校20校を調査対象とし、アンケート結果としてまとめ、グラフなどを作成した。
このような、学校評議員制度はまだ始まったばかりで、この制度が今後うまく機能、定着し、大きな成果を上げていくには、様々な努力が必要である。いじめや不登校、青少年の非行が増加している現在、学校評議員制度をより多くの学校で役立てていく必要があろう。
相続税の本質と係争問題
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2023 村山 志央
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:富の再分配、法定相続、遺贈
小論は、第1章において、資産課税の基本的思考について述べた。
第1節、資産課税の定義においては、日本の税制である所得課税・資産課税・消費課税の課税形態の中の本質について研究した。
第2節の相続課税の根拠においては、「富の再分配」という観点から、贈与税と共に高率課税がなされていることについて述べた。
第2章、相続税の課される財産と課されない財産について、第1節・第2節を設けて述べた。特に第1節相続税の課される財産において、文中にある、5.遺言により著しく低い価格で財産の譲渡を受けた場合、6.遺言により債権の免除などを受けた場合、7.遺言によりその他実質的に利益を享受した場合等の相続財産として認定される特種な場合について述べた。更に、第3節、において、生命保険金や死亡退職金等のみなし相続財産について述べた。
次に第3章では、民法に定められている法定相続人と法定相続割合について詳しく述べた。第4章の遺産相続に関わるケーススタディーにおいては、
1.被相続人の失踪宣告を受けたことによる相続問題
2.遺言書に関わる相続割合の問題
以上、2つについて、ケーススタディーとして取り上げた。
特に、その2.において、私が最も主張したい“家族の信頼に基づく絆”、すなわち、一家の生計を支える父に対しての尊敬の念や思いやりを、私の主張として述べている。
本論を執筆する中で、誰もが体験するであろう父の死と、父の残してくれた遺産の相続について、私の考えを述べている。
所得税の仕組みと計算構造
−事業所得と退職所得を中心として−
人文学部 現代ビジネス学科 企業会計コース 00-2024 室伏 裕美
指導教員 長嶋 義貴
キーワード:累進税率、垂直的公平、退職所得控除
小論は、日本の所得税のうち、事業所得と退職所得の仕組みと計算構造を中心に研究したものである。
まず、第1章において、所得税の沿革について述べた。明治には、所得税が創設され、分類所得税の改正が行われた。大正には、超過累進税率導入された。昭和には、法人税が所得税から分離、戦後初めての本格的な税制改革、シャウプ勧告による近代税制の確立、所得税減税などが行われた。平成には、最高税率の引き下げ、定率減税の実施、金融・証券税制の軽減、配偶者特別控除の縮小などについて述べた。
第2章については、所得課税制度の意義について述べた。所得課税制度とは、いわゆる「所得」を課税物件(課税対象)とし、その所得の帰属者を納税義務者とし、所得金額を課税標準として課税することとしている課税制度を言う。
第2章第1節については、直接税としての所得税について述べている。直接税とは、税金の負担者と納税義務者が同一人であり、所得税、法人税、相続税などがある。
第2章第2節「所得とは」において、所得概念論、所得税法上の所得、課税所得の範囲、非課税所得と免税所得についてそれぞれ述べている。
第2章第3節「所得税の納税義務者とは」において、所得税の納税義務者の個人(自然人)、法人および人格なき社団等について述べ、非課税者についても述べている。
第2章第4節においては、課税要件について述べている。所得税を現実に課税できる原因を所得税の課税要件という。その課税要件には「所得の帰属」と「課税期間の経過」とがある。その2つについて詳しく述べている。
第3章第1節について、事業所得の仕組みについて述べている。事業所得とは、農業・漁業・製造業・商業・サービス業などはもちろん、医師・弁護士・税理士・公認会計士・プロ野球選手などの自由業による所得も事業所得になる。
第3章第2節について、事業所得と税額の計算構造について述べている。事業所得の収入金額、必要経費について述べ、所得税の税率について例を用いて計算している。
第4章第1節においては、退職所得の仕組みについて述べている。退職所得とは、退職手当、一時恩給、その他の退職により一時に支給される給与およびこれらの性質を有する所得をいう。
第4章第2節について、退職所得と税額の計算構造について述べている。退職所得控除額について述べ、実際計算例を示して、退職所得の金額を出している。退職所得に対する所得控除額が、他の税目の控除額よりも多い理由は、退職所得が長い年月の労働に対する慰労金の意味とその後の生活資金に対する配慮があるからである(一時所得の控除額は、一律50万円)。
第5章については、おわりに代えるものとして、少子高齢化の未来に向けての心構えについて述べている。国民負担率と総人口に占める老人の割合と国から金銭給付される児童手当の表をもとに説明している。21世紀に課せられた人間の生き方は、少子高齢化に備えた相互扶助の精神に支えられるものでなければならない、と確信する。