モーツァルトin聖徳2006 > 論文・エッセイ


Mozart in Seitoku 2006

K.511とレオポルドの死との関連性
〜ピアニストの立場からK.310と比較して〜

聖徳大学教授
原  佳 之

今から20年ほど前、私は、モーツァルト、ベートーヴェンのオペラに魅せられてウィーンに留学しておりました。ウィーンは、古典派の宝庫でして、ベートーヴェンを中心にモーツァルト、シューベルトを特に研究してまいりました。

帰国後、私の演奏が日本モーツァルト愛好会から依頼を受け、フラグメントを含むモーツァルト・ピアノ・ソロ作品の全曲演奏会をしました。演奏会は、お茶の水ヴォーリーズホールで、1992年から1997年まで年2回、5年半にわたり、11回のコンサートで、約179曲を完奏しました。これは、日本人では初めてということです。

それ以後も、モーツァルトを研究しておりますが、今まで学んだことをもとに、今回は、「ピアニストの立場から見たモーツァルトの作品」という視点で、発表したいと思います。

私はこれまでに、リサイタルでたびたびロンドa-moll K.511を演奏してきました。
みなさんご存知のように、モーツァルトの作品はdurが多く、生涯の中で作曲されたmollの作品は非常に少ないのです。

モーツァルトのmoll作品の中でも、a-mollロンドと、a-mollソナタK.310、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」K.527、「レクィエム」K.626は、いわば特異な作品として位置付けされるのではないかと考えています。

この4つの作品に共通するのは、mollです。

K.511とK.310は、a-moll、「ドン・ジョヴァンニ」と「レクィエム」は、d-mollを用いていることに、私は、着眼いたしました。

K.310は「母の死」、「ドン・ジョヴァンニ」は「父の死」、そして「レクィエム」は「モーツァルトの死」と、関連づけられると考えています。

しかし、ここでは、ドン・ジョヴァンニやレクィエムまで言及する時間がありませんが、各々の状況における心理が、それぞれの調性を選んだと考えると興味深いものがあります。

では、まず、a-mollという調性に注目して、詳しく調べてみました。

モーツァルトのクラヴィーア曲の中で、a-mollで書かれているのは、ソナタK.310と、ロンドK.511だけです。ピアノ曲以外のジャンルでも、1765年(9才)の時にシンフォニーを(これは、残念ながら散失)、1770年(14才)の時にミゼーレがあるだけです。

ヴァイオリンソナタ、室内楽曲はもちろんの事、交響曲にもa-mollはありません。そういうところから、a-mollは、K.番号がついている全626曲の中では、大変珍しい、いわば、特殊な心理状況にあった時の調性と言えます。

a-mollの代表的な作品で、パリで書かれた唯一のクラヴィーアソナタとされるK.310をさぐってみましょう。

ウィーン古典派の音楽は、モーツァルトの交響曲「パリ」K.297(300a)の成功により、国際的に広がったといえます。しかし、6ヶ月という短い滞在の中で彼を待ち受けていたのは、母マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Mozart 1720〜1778)の死でした。

K.310は、アインシュタインが、「本当に悲劇的なソナタであり、劇的で、仮借ない暗黒に満ちている」(Einstein 1945:邦訳 336)と評しているところから、しばしば1778年7月3日の母の死と関連付けられ、説明されてきました。

しかし、自筆譜には、「1778年、パリ」との表記があるだけで、成立には、母の死との関りを裏付けるものはありません。

では、(母の死との)関わりの手がかりを見つけてみましょう。

第1楽章の展開部58小節では、ff 表示が出てきます。ff は、4小節ごとに pp と交互に現れます。これは、モーツァルトには珍しい表示です。たびたびベートーヴェンとの連関が説明される、もう一つの短調クラヴィーアソナタK.457でさえ、ff は出てきません。

強弱表示に、それは、現れていると思うのです。
これで、マンハイムで強弱表現をしやすいシュタインのピアノに出会っただけではないということがわかります。

K.310のこの ff は、モーツァルトには珍しい感情の「直接的な表現」によるものと考えられます。
したがって、モーツァルトのff 表示は、「特別な」ものであることがわかってきます。

なぜなら、モーツァルトは、独自の書法があるからです。通常、本質的なもの、あるいは、複雑なものを彼独自の16分音符で包み込んでしまう、聞いているものに複雑さを感じさせないという書法です。

このことは、モーツァルトの手紙の記述にも共通すると思います。
彼の手紙では、ユーモアの部分だけが有名になりがちですが(たとえば、いわゆるベーズレ書簡等の)、あれは、作曲意欲が沸いているときの表現であり、また、本当に言いたかったことをユーモアで包み込んでしまうという見方もできます。

K.310 の第1楽章の速度表示を見ると、アレグロ・マエストーソという「戒め的な」指示があります。これは、「叫び」を決して軽快に面白おかしく弾いて欲しくないという、モーツァルトからのメッセージだと思います。

第2楽章のアンダンテは、ロマン派の先がけとも言える、天上的な美しさを持ちますが、不気味さが漂っています。
durですが、本質はdurの仮面をつけた「moll」であると推測されます。

これは、母の死によって、溢れる涙が一杯こみあげてくる中で、哀しみをこらえ、それを乗り越えようとしているモーツァルトの心理を描写していると言ってもいいと思います。  

そして、展開部の37小節〜53小節は、私達に死後の世界を連想させるのです。そこに見るクレッシェンド表示は、大変直接的であると思います。
それは、フランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828)が描いたような「優しいもの」ではなく、地獄からの「叫び」に聞こえます。

第3楽章プレストは、魂のさまよいを感じさせる、ジプシーの仮面を被った「葬送音楽」だと思います。
p 表示、プレスト、葬送という点では、後のフレデリック・ショパン(Frederic Chopin 1810〜1849)の、ソナタ第2番 b-moll Op.35のフィナーレを想起させるプレストです。

 では、もうひとつのa-moll、ロンドK.511を見てみましょう。

この曲の成立は、モーツァルトの自作品目録によると、1787年3月11日とされています。その頃、モーツァルトは親しい友人の死に相次いで出会っていました。

1787年3月、レオポルドが病気になります。翌4月4日、モーツァルトは、次のような手紙を父宛に送っています。

「死はぼくたちの生の最終目的です・・・その姿は、ぼくにとってただ単に恐ろしいものであるばかりか、まったく心を安らかにし、慰めてくれるものなのです」まるで、父の死を予感するかのごとく、モーツァルトが、死について真剣な姿勢で立ち向かっている珍しい手紙です。

そして、この手紙の翌月、5月28日にレオポルドは亡くなりました。

K.511は、モーツァルトが父の病気を知り、この手紙を書く1ヶ月前に作曲したと考えることができます。

モーツァルトが、ロンドを書いたとき、a-mollソナタと共通するイマージネーションがあったとするなら、いいかえれば、「母の死」と同じくらい存在感のある人物の死の予感があったとするならば、それはいうまでもなく、2ヶ月後のレオポルドの死ということになってきます。

a-mollロンド は、p の表示が多く、一見、a-mollソナタとは作風の異なる作品であるかのように見えます。

a-mollロンドには、a-mollソナタに見たff、pp という特殊なダイナミズムは見られませんが、悲しみを理性で押し込めようとするものの、こらえた悲しみが一挙に放出されるような、そして、感情の襞が半音階、微妙な転調等により表出され、尋常ではない心を反映させた書法が目を引くのです。

では、ロンドの冒頭を見てみましょう。

左手の伴奏型は、K.310と同じ和音を変形させたものです。K.310のような連打は、大変拘束力のあるリズムですが、K.511では、これをいわばロココ調にして、拘束性を悟らせない、柔らかい表現になっています。

a-mollソナタの冒頭と同じように、「大粒の涙」を想わせる、憂いをこめたテーマの右手には、半音階の進行が見られます。半音階は、「痛み」の表現としてバロックから近現代まで、あらゆる作曲家が表現手段として使っています。演奏者は、半音階が出てくるたびに、それをどのように表現するかを考えなければなりません。

モーツァルトが、伴奏型をロココ調にしたことによって、リアルさは和らげられましたが、テーマの、シチリアーノのリズムのインパクトが強まり、そして右手の半音階の進行が浮き彫りにされていくのです。
主題がdisの前打音ではじまるところは、a-mollソナタと同じです。

B部分からロングトーンの中で16分音符がカンタービレで表出され、(これはバッハから引き継がれた書法です)、半音階を用いながら複雑な転調を繰り返し(これもバッハの書法です)、発展していきます。モーツァルトの感情の襞が複雑であったことがうかがえるところです。

中間部で、曲はA-durに転じます。
durだからといって、決して心が晴れたわけではありません。
よく見てみましょう。中間部のリズムもシチリアーノです。

もともとシチリアーノというのは、mollが多く、十字軍の時に追われた僧侶達が口ずさんだ歌といわれています。この部分は、durの顔をしていても、哀しみで一杯のdurということがわかってきます。

その哀しみは、durのまま、カデンツを迎えます。

モーツァルトは、123小節で、哀しみを理性 で押し込めようとしますが、124小節で、一挙にf で放出されます。
表出される音量は ですが、内にあるものはff 以上かもしれません。

モーツァルトは、K.310において、悲しみをmollの中でff、pp という手段を使って直接的に表現しています。

一方、K.511の場合は、durに転じて、 で押し込め、クレッシェンドののち という手法を使っています。本質的にはmollであるはずのdurの中での、このダイナミズムは、mollで奏出されるより、聴き手に強く印象づけるという効果がでてきます。この方法は直接的な表現といえます。
この部分が究極の哀しみであることは、その後に続く半音階が物語っています。

156小節からのA音の連続は、「叫び」として聴き手に訴えかけます。
そして、169小節の、亡霊のように左に出てくるテーマは、モーツァルトが「何か」に取りつかれているように聴こえます。

このインパクトの強いA音の連続は、直接的な訴えかけという点で、K.310の第2楽章43小節に呼応し、169小節のテーマは、魂のさまよいという点で、K.310のフィナーレに呼応すると私は考えています。

では、なぜ、モーツァルトはa-mollロンドにおいてa-mollソナタに見たff、pp という表現をとらなかったのでしょう。

1つ目は、モーツァルトの中の母親の存在と、父親の存在感の違い、
2つ目は、環境的要因だと思います。

パリで母の死に出会った時は、生活が自分の思うようにはいかなかったところへの、突然の出来事でした。モーツァルトにとって、青年期のマンハイム・パリ旅行を共にした途中で遭遇した母の死、それは、衝撃的なものであったにちがいありません。

パリでは、「皇帝」「貴族」「市民」が相反し生活していました。その結果革命がおこったのです。事実、モーツァルトがパリにいた11年後の1789年に革命がおこったのですからね。

モーツァルトの手紙によると、パリの人達はモーツァルトに対して冷たかったという記述が目に付きます。母マリア・アンナの死により彼は1人パリに取り残されました。当時22才、若さもあり、叫びたいという感情が表に出るのも無理もありません。

しかし、母の死の6時間後に書いた父宛の手紙では、母の死という事実を、父に気を使いながら話しています。

死についての考えを述べた手紙としては、ウィーンでの1787.4.4付けの、父が亡くなる1ヶ月前の手紙に共通するものがあります。

ですから、押し込められた、叫びたくても叫べないことへの反動が、a-mollソナタに直接的な表現として現れたという見方ができると思います。

a-mollロンドが、哀しみの表現法としてa-mollソナタのような直接表現をとらなかったのは、ウィーンの土壌からの影響もあると思います。

a-mollロンドは、モーツァルトがウィーンに住み着いて6年目の作品です。6年もその土地に住み着けば、どんな人でも何がしら影響を受けるものです。

モーツァルトは、ザルツブルク人だと私は考えています。というのは、オーストリアの中でも、ザルツブルク人とウィーン人では、気質が違うからです。

ザルツブルクは、歴史的に見ても、バイエルンに入り、ウィーンは、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、クロアチア、スロヴェニア、ユーゴ、そしてユダヤ等の影響が強い土地柄です。
 
ウィーンで生まれ、ウィーンで育ち、ウィーンで死んだ唯一の作曲家、シューベルトの典型的な特徴に、「哀しみの極致になったとき、durに転調する」という作風があります。しかし、シューベルトの見た死後の世界は、「魔王」や「冬の旅」で示されるように、優しいものであり、人々をあたたかく迎えてくれるものです。

これは、シューベルトの死生観によるものです。この死生観は、ウィーン人気質の本質であるということを、私は、論文で発表しています。
 
モーツァルトも、シューベルトのように、K.511において、究極の哀しみを表現するとき、durに転じ、 に押し込めるという方法をとりました。これは、ウィーンの土壌からの影響が少なからずあると、言えるのではないでしょうか。


父レオポルドは、モーツァルトにとって、父親である以上に、教育者であり、マネージャーでした。

モーツァルトの幼少の頃より、ナンネルの日記帳に、勉強の成果をメモしつづけ、ウィーンに名を轟かせるため、マリア・テレジアに謁見を申し込み、そして、ヨーロッパ中に神童の名をとどろかせるため、西方への旅行を計画。
また、オペラの上演のため3回のイタリア旅行、そして、マンハイム、パリにいたるまで、教育者として彼の行動の一部始終を監督しようとしたレオポルドでした。

青年期のモーツァルトの手紙を読むと、モーツァルトの父に対する従順な態度を読み取ることができます。しかし、アロイジアに失恋し、コロラドと衝突した頃から、ヴォルフガングの「反抗」がはじまります。

とはいうものの、モーツァルトは、父親と強い結びつきがあり、ウィーンでモーツァルトが父の死を予感した時は、今までの自分の人生を省みて、溢れる涙で一杯だったことでしょう。

以上のような点から、K.511には、K.310と類似した深層心理がモーツァルトに働いていると分析できると思います。

ロンド a-moll K.511は、K.310と同一の心理のもとに作曲され、a-mollという特別の調性を用いたこと、これらの見解から、K.511が父の死と関連、あるいは父の死を予感した作品であるという結論に至りました。

モーツァルトといえば、durで明るく、シンプルで、すぐに覚えられ、親しみやすいメロデイーがあり、そして、子供から大人まで楽しめるというところが一般的ですが、2つのa-mollのような作品があるからこそ、彼の魅力はつきないのではないでしょうか。

(日本音楽表現学会、2006.6.18 岡山大学での発表に基づく)


教員紹介:原佳之


モーツァルトin聖徳2006 > 論文・エッセイ