モヌツァルトin聖埳2006 > 論文・゚ッセむ


モヌツァルトのパリ・゜ナタにおいお、レントゲンの芋たもの

ヌヌK.330K.333が、「パリ・゜ナタ」ずしお䜍眮付けされなかった所以ヌヌ

聖埳倧孊人文孊郚音楜文化孊科

教授 原 䜳之

はじめに

ノォルフガング・アマデりス・モヌツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 17561791)のクラノィヌア゜ナタK.310K.333の曲は、モヌツァルトの䞭期クラノィヌア゜ナタの傑䜜ずしお芪したれおいる。これら曲の゜ナタは、1778幎春から秋にかけおのパリ滞圚䞭に䜜曲されたずされ、長い間「パリ・゜ナタ」ずしおアルフレヌト・アむンシュタむン(Alfred Einstein 18801952)をはじめ、倚くの孊者たちにより、パリの瀟亀界の栄華ず関連づけられ、説明されおきた。筆者は、日本モヌツァルト愛奜䌚からの䟝頌による、モヌツァルトのクラノィヌア・゜ロ曲党曲(フラグメントを含む)挔奏を行う以前から、この曲の゜ナタをこよなく愛し、リサむタルでもたびたび取り䞊げおきた。しかし、曲すべおをパリで曞かれたものずするには、ピアニスティックな偎面から芋お、合点の行かないものを感じおいた。

疑問を抱いおいたのは筆者だけではなかった。20䞖玀埌半になっおモヌツァルトの䜜品に科孊の目があおられるこずずなったのである。ノォルフガング・プラヌト(Wolfgang Plath 1926)がたず、1970幎代に䜜品の筆跡鑑定を実斜した。さらに、1980幎代になっおアラン・タむ゜ン(Alan Tyson 1926)がX線を甚い、原皿の透かし暡様の研究をし、照合。そしお五線玙の出所をさぐり、䜜品幎代の再確認を行ったこずは、我々の蚘憶に新しい。この功瞟をもずに1954幎1991幎の間に『新モヌツァルト党集』が線纂された。このこずにより、数倚くの䜜品が䜜曲幎代に぀いお芋盎しを䜙儀なくされたのである。K.330K.332の曲は、1783幎りィヌン、たたはザルツブルクにお、K.333は1783幎末頃、リンツ、たたはザルツブルクにお䜜曲されたずいう結論に至った。これは、初版譜の出版が、K.330K.332は1784幎りィヌンのアルタヌリア(Artaria)より、K.333は1784幎、りィヌンのトッリチェッラ(Torricella)から行われたこずに無理なく笊合する。したがっお、パリで䜜曲されたのは、K.310のみずなった。そしお、K.330K.333の曲は、説明の倉曎をせざるをえない事態になったずいうわけである。

今日、䜜曲幎代に぀いおは、すでに定説化しおきおはいるが、本皿ではこれら曲の゜ナタが「パリ・゜ナタになりえなかった所以」を挔奏家の立堎から芋お考察し、明らかにしたい。

 

研究課題

モヌツァルトがパリに滞圚したのは、わずか半幎䜙りである。モヌツァルトがパリに行くこずになったきっかけは䜕であったのだろうか。モヌツァルトのパリでの䜜颚を知るには、パリに行くきっかけになった街を知り、その街でモヌツァルトがどのような経隓をしたかを知るこずが必芁であるず刀断した。モヌツァルトは、パリに行く前にマンハむムに滞圚した。この街には、モヌツァルトを惹き぀ける魅力があった。圓時マンハむムは、オヌケストラに恵たれ、ギャラントな挔奏スタむルが流行し、パリずずもに西ペヌロッパの音楜掻動の䞭心地ずされおいた。

ここで泚目したいのは、オヌケストラず楜噚ずの出䌚いである。圓地に就職を求めたモヌツァルトは、オヌケストラに関心を瀺した。そしお、アりグスブルクでクラノィヌア補䜜者のペハン・アンドレアス・シュタむン(Johann Andreas Stein 17281792)に䌚い、シュタむン補のハンマヌフリュヌゲルを詊挔した。このクラノィヌアのダンパヌは、埓来型の膝で操䜜するレバヌはなく、足で螏むペダルであった。ダむナミズムの衚珟の領域が拡がるシュタむン補のハンマヌフリュヌゲルは、モヌツァルトの挔奏、および䜜曲の可胜性を拡倧し、むメヌゞを拡げたず掚枬される。そこで぀のクラノィヌア゜ナタが誕生した。K.309(284b)ずK.311(284c)である。

 

クラノィヌア゜ナタ第番C-dur K.309 (284b)、第番 D-dur K.311 (284c)

成立幎代1777幎10月11月、マンハむムにお

出版 第番 1781幎パリ、゚ヌナ(Heina)より。 新党集⅚25/1

第番 新党集⅚25/1

楜曲構成

第番
Ⅰアレグロ・コン・スピヌリト C-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏
Ⅱアンダンテ・りン・ポコ・アダヌゞョ F-dur 分の拍子 ゚ピ゜ヌドをはさむ倉奏曲
Ⅲロンドヌ アレグレット・グラツィオヌ゜ C-dur 分の拍子 ロンド圢匏

第番
Ⅰアレグロ・コン・スピヌリト D-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅱアンダンテ・コン・゚スプレッショヌネ G-dur 分の拍子 ABABA
Ⅲロンドヌ アレグロ D-dur 分の拍子 ロンド圢匏

 

この䜜品矀の特城は、オヌケストラ的な楜想にある。同圢反埩が倚く、それを重ね䞊げお発展させおいく䜜曲技法は、マンハむム楜掟の亀響曲のスタむルである。K.309は、第䞻題の冒頭(譜䟋)をオヌケストラ、小節からはノァむオリンずノィオラ、15小節からはトランペットが動機を奏し、掚移郚のオヌケストラぞずいうように眮き換えが可胜である。

そしお第䞻題は再び匊楜噚矀、43小節からはオヌケストラ、芋方を倉えれば、53小節にトリルがあるこずから、クラノィヌア協奏曲のスケッチずいうこずもできる。展開郚は、オヌケストラ、そしお管楜噚矀ぞず →→ ず匕き継がれおいく。この䜜颚は、ルヌドノィッヒ・ノァン・ベヌトヌノェン(Ludwig van Beethoven 17701827)を想起させる。䜜品を芋るず、モヌツァルトがいかに湧き出るような楜想を持っおいたかがよくわかる。4849小節の拍ごずに繰り返される / の衚瀺(譜䟋)は、性胜の良いハンマヌフリュヌゲルに出䌚ったモヌツァルトの匷匱の衚珟ができる喜びを蚌明するものである。展開郚に芋る  の衚瀺は、モヌツァルトのクラノィヌア゜ナタには珍しい。

我々ピアニストは、響きの良いホヌル、性胜のいい楜噚に出䌚った時、或いは良き共挔者に恵たれた時、芞術的刺激を受ける。䜜曲家もたた、優秀なオヌケストラや性胜の良い楜噚に出䌚った時、曲に察するむメヌゞが拡がるのであろう。したがっお、モヌツァルトはマンハむムで優秀なオヌケストラに、そしおシュタむン補のハンマヌフリュヌゲルに出䌚ったこずにより、響きやダむナミズム衚珟の可胜性が著しく拡倧したず蚀える。

K.311ではピアニスティックな面が䞀局匷調され、特にスタッカヌトの軜やかさが芁求されるようになっおいる。これは、圓所でアフタヌタッチの面でも反応の早いハンマヌフリュヌゲルに出䌚ったこずを瀺すものである。

マンハむム・゜ナタは、メロディヌも芚えやすく、芪しみやすいが、挔奏者にずっおは匟きにくい゜ナタである。モヌツァルトは、マンハむムで新しい発芋をし、溢れるばかりの楜想すべおを盛り蟌もうずしたのではないだろうか。ただ21歳の若さでは、いろいろな楜想を盛り蟌もうずするあたり、ペンが察応しきれなかったずいう芋方ができる。そんなずころから、挔奏䞊の䞍自然さは吊めない。䟋を挙げるなら、第楜章56、57小節の16分音笊の跳躍K.309(譜䟋)、至る所に散芋されるポゞションが突然倉わるK.309、K.311点にある。ここで特蚘しおおきたいこずは、ダむナミズムが拡がったにもかかわらず、マンハむム・゜ナタでは、 の衚蚘はただ出おこないこずにある。

では、なぜモヌツァルトは の衚蚘を控えたのであろうか。このこずは、翌幎パリで䜜曲されたK.310(300d)(譜䟋)を芋るずわかっおくる。

 

クラノィヌア゜ナタ第番 a-moll K.310 (300d)

成立幎代1778幎初倏、パリにお

出版新党集⅚25/1

楜曲構成

Ⅰアレグロ・マ゚ストヌ゜a-moll 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅱアンダンテ・カンタヌビレF-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅲプレストa-moll 分の拍子 ロンド圢匏

この゜ナタが䜜曲されたのは、パリであるず蚀われおいる。りィヌン叀兞掟の音楜は、モヌツァルトの亀響曲《パリ》K.297(300a)の成功により、囜際的に広がったずいえるだろう。しかし、その埌の圌を埅ち受けおいたのは、母マリア・アンナ・モヌツァルトMaria Anna Mozart 1720〜1778の死であった。K.310は、アむンシュタむンによれば、「本圓に悲劇的な゜ナタであり、劇的で、仮借ない暗黒に満ちおいる」Einstein 1945邊蚳 336ず評されおいるずころから、研究者たちに、しばしば同幎月日の母の死ず関連付けられ、説明されおきた。自筆譜にも、「1778幎、パリ」ずの衚蚘があるのみで、成立には、K.310ず母の死ずの関りを裏付けるものはない。かずいっお吊定できるものでもない。

筆者は、この゜ナタを母の死ず関連があるず掚枬する。モヌツァルトの短調䜜品の特殊性を扱った文献は倚く、その䞭でもこの゜ナタず、《ドン・ゞョノァンニ》K.527、《レクィ゚ム》 K.626は特異な䜜品ずしお䜍眮付けされるのではないだろうか。K.310は「母の死」、《ドン・ゞョノァンニ》は「父の死」、《レクィ゚ム》は「自分の死」ず関連づけられる。぀の䜜品に共通するのはmollであるこずは蚀うたでもないが、K.310はa-mollずいう「劇的な」調性を、《ドン・ゞョノァンニ》ず《レクィ゚ム》はd-mollずいう「惜別の」調性を甚いおいるこずに泚目したい。「母の死」或いは「父の死」ずいった各々の状況における心理が、それぞれの調性を遞んだず考えるず興味深い。

第楜章展開郚に 衚瀺がある(譜䟋)。

 は、小節ごずに  ず亀互に珟れる。これは、モヌツァルトには珍しい衚瀺である。たびたびベヌトヌノェンずの連関が説明される、もう䞀぀の短調クラノィヌア゜ナタK.457でさえ、 は出おこない。K.310の展開郚には、巊手の拘束性のある執拗なバスに匕きずられたいず、もがき続けるモヌツァルトの「叫び」がある。䞍気味な堎面を展開する郚分である。この  は、「䞻芳性の盎接衚珟」によるものである。したがっお、モヌツァルトの 衚瀺は、「特別な」ものであるこずがわかっおくる。

第楜章の速床衚瀺に、アレグロ・マ゚ストヌ゜ずいう「戒め的な」指瀺がある。これは、「叫び」を決しお軜快に面癜おかしく匟いお欲しくないずいう、モヌツァルトからのメッセヌゞであろう。前打音は、倧粒の涙に聎こえる。第楜章は倧倉シンフォニックである。たた、126127小節の突然のポゞション移動を䌎う十六分音笊のパッサヌゞュは、手法における「倧胆さ」がある。この「倧胆な手法」が、パッサヌゞュを匟きにくくさせおいる。しかし、音楜は自然に流れおおり、聎き手に「匟きにくさ」を感じさせない。このようなシンフォニックな䜜颚、倧胆な手法は、マンハむム゜ナタの圱響である。

さらに、この゜ナタには、察䜍法的な技法が随所に散芋される。しかし、音楜に自然な流れがあるため、聎き手には、察䜍法音楜であるこずを悟らせない。芪しかった人の死は、偎近の者に時ずしお超人的な力を䞎えるこずがある。䞀時的にせよ、モヌツァルトが晩幎に蟿り着いた「察䜍法を駆䜿したポリフォニヌの䜜曲家」になっおしたったのだから、驚異ずしか蚀いようがない。

第楜章アンダンテは、倩䞊的な矎しさを持぀が、䞍気味さが挂う。Durであるが、本質はdurの仮面を぀けた「moll」であるず掚枬される。これは、母の死によっお、溢れる涙が䞀杯こみあげおくる䞭で、哀しみをこらえ、それを乗り越えようずしおいるモヌツァルトの心理を描写しおいるず蚀っおもいいだろう。乗り越えようず神に祈ろうずするが、我々は、展開郚で死埌の䞖界を垣間芋るこずになる。それは、フランツ・シュヌベルト Peter Schubert 1797-1828が描いたような「優しいもの」ではなく、地獄からの「叫び」であった。そしお、第楜章は、ゞプシヌの仮面を被った「葬送音楜」である。「葬送音楜」ずいう点では、埌のフレデリック・ショパン(Frédéric Chopin 1810〜1849)の、゜ナタ第番 b-moll Op.35のフィナヌレを想起させるプレストである。

以䞊のような考察から、K.310は、「積極的に䞻芳性を盎接衚珟した䜜品」ずいうこずができよう。そういうずころから、この゜ナタは、「母の死」ず関連を持ち、モヌツァルトの「特殊なクラノィヌア゜ナタ」ずしお䜍眮付けするこずができる。

パリでは、病に倒れた母を目の前にし、就職もたたならず、生埒をしぶしぶ教えながら生掻した。ヶ月埌には母を亡くし、孀独ず戊い、悲しみに打ちひしがれおいたに違いない。りィヌンでは、皇垝、貎族、垂民の぀の階玚が近づきあっお生掻しおいたが、パリでは、それぞれが盞反しあっおいた。そのような瀟䌚構造からくるパリの人々の垂民感情は、モヌツァルトにずっお、決しお居心地のいいものではなかったであろう。事実、11幎埌には革呜が勃発しおいるのだから。モヌツァルトにずっおパリの生掻が䞍本意のものであったこずは、母の死からヶ月埌にパリを出おいるこずからも想像できる。そのような状況で、果たしお䞭期モヌツァルトの珠玉ずも蚀える曲の「パリ・゜ナタ」を䜜曲できたのであろうか。しかもヶ月の間に。「パリ・゜ナタ」ず呌ばれる埌の曲が、もっず時を隔おおから䜜曲されたのではないかずいう私の疑問は、そんなずころからはじたった。

 

クラノィヌア゜ナタ 第10番 C-dur K.330 (300h)

成立幎代おそらく1783幎、りィヌン、たたはザルツブルクにお

出版1784幎りィヌン、アルタヌリアより。新党集⅚25/2

楜曲構成

Ⅰアレグロ・モデラヌト C-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅱアンダンテ・カンタヌビレF-dur 分の拍子 䞉郚圢匏 
Ⅲアレグレット C-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏

 

アむンシュタむンによれば、「モヌツァルトはK.310を䜜曲した埌、内面的な自由を求め、K.330を曞いた」ずあるEinstein 1945:邊蚳 336。圌は、K.330の第䞻題の䞀郚ずK.310の第䞻題ずの関連性を指摘譜䟋し、「暗黒ず明るみの間の䞻題的連関」ず説明しおいる。

さらに、「K.330はK.310に比べ軜いように芋えるが、K.310同様、あらゆる音の坐りがよい傑䜜であり、か぀おモヌツァルトが曞いた最も愛らしいものの䞀぀」ず述べおいるEinstein 1945:邊蚳 336。

内面的な自由を求めたこずに察しおの異論はないが、圌の発想は、あくたでK.310の盎埌にこの゜ナタを想定しおいるずころに問題がある。筆者は、モヌツァルトは母の死埌、郷里のザルツブルクに垰り、この゜ナタを䜜曲したず仮定したい。フラグメントは珟存しないが、ザルツブルクで草案を緎った埌、りィヌンで完成させたずいう可胜性もある。22歳の若さで「母の死」を䜓隓し、䞀人パリに残されたモヌツァルトの心が、郷里に向かうのは圓然のこずではないだろうか。

そしお、アむンシュタむンの蚀う「内面的な自由」ずは、「モヌツァルト本来の姿のこずである」ず分析する。モヌツァルトの䜜品が生たれた本質的な土壌は、ザルツブルクにあるず掚枬される。旧垂街に芋る垂堎の朝の盛況、銬車の軋み、レゞデンツ広堎の鐘の音、朚の葉が颚に擊れる音、ザルツァッハ川の流れ等、すべおがモヌツァルトの音楜の玠材ずなっおいる。K.330においおも、第楜章の第䞻題譜䟋からは、郵䟿銬車のラッパの音を想わせ、街の賑わいが䌝わっおくる。

街埀く人々が挚拶をかわしながら垂堎におもむく様は、たさにザルツブルクそのものだ。第楜章は、ブラスバンドを䌎うチロル地方の民族的な螊りである。ペヌロッパでは、民族音楜がクラシックず同じ土壌で発達しおきた。モヌツァルトが幌少時代に聎き、慣れ芪しんできたこのような音楜が䜜品の䞭に内圚しおいおも、おかしくはないだろう。

以䞊の芁玠から、この゜ナタをパリで䜜曲したず仮定するなら、あたりにもザルツブルク的であり、リアルすぎる。或いは、パリでのテヌマの「ひらめき」はあったかもしれないが、それを持続させ、曲の完成に至らせるために必芁な粟神力はなかったず掚枬される。アむンシュタむンの蚀う、「音の坐りをよくする」Einstein 1945:邊蚳 336条件を満たすためには、モヌツァルトが、粟神的に萜ち着きを取り戻すこずが前提ずなる。そのためには時間が必芁であったず考える。

K.330におけるピアニスティックな動きは、マンハむム・゜ナタのような突然のポゞションの移動もなく、窮めお「自然」である。さらには、湧き出る楜想をすべお取り蟌もうずしたために起こる「匟きにくさ」や「䞍自然さ」は、姿を消しおいる。第楜章には、耇雑な転調、予期せぬ短調郚分の挿入ずいう「繊现さ」ず「倧胆さ」が同居し、それらが互いに䞻匵しながらハヌモニヌを醞し出すずいう䜜颚がある。この発想はマンハむム時代に培われたものだが、圓時は若さからくる非統䞀感があった。K.330においおは、そのような非統䞀感は芋られない。

 この゜ナタを、同じC-durで曞かれおいるクラノィヌア゜ナタK.545ず比范しおみよう。モヌツァルトは、K.545を䜜曲した頃、父レオポルドをはじめ、芪しい友人の盞次ぐ死に芋たわれおいた。「死」ず「C-dur」ずの連関から考えるず、K.545の方は、C-durずいうシンプルな調性に自分自身の苊悩を投圱し、浄化させおいったずいう䜜颚がある。したがっお、曲に内圚するものは、決しおdurではないず蚀うこずができる。それに察しK.330は、「ザルツブルクぞの回垰」がテヌマであり、我々には、ザルツブルクの街そのものの雰囲気が䌝わっおくる。いわば、「C-dur」ず「ザルツブルク」の䞭に「母の死」を抌し蟌めおしたったずいう芋方もできる。モヌツァルトの手玙でも芋られるように、「本圓に蚀いたかったこずをナヌモアの䞭に隠しおしたう」ずいう語法から考えれば、K.330は、「母の死」ず関係がある゜ナタずいうこずができる。しかし、䞀般的に、身内の死からこのような立ち盎りのできる状況は、その死から1幎以䞊たっおからであるず考えられる。したがっおK.330は、母の死から少なくずも1幎以䞊の歳月がたっおから䜜曲されたず考えるのが劥圓であろう。

 

クラノィヌア゜ナタ第11番 A-dur K.331 (300i)

成立幎代おそらく1783幎、りィヌン、たたはザルツブルクにお

出版1784幎りィヌン、アルタヌリアより。新党集⅚25/2

楜曲構成

Ⅰアンダンテ・グラツィオヌ゜A-dur 分の拍子 倉奏曲圢匏 
Ⅱメヌ゚ットA-dur 分の拍子 耇合䞉郚圢匏 
Ⅲアラ・トゥルカ アレグレット a-moll 分の拍子 耇合䞉郚圢匏

 

第楜章譜䟋はシチリアヌナのリズムで開始する。

モヌツァルトは、クラノィヌアの䜜品で最初にシチリアヌナのリズムを甚いたのは《ロンドン・スケッチ垳》の䞭に芋られるシチリアヌナK6.15u。その埌のクラノィヌア曲では、゜ナタ第番 F-dur K.280第楜章ず、クラノィヌア協奏曲第23番 A-dur K.488第楜章にシチリアヌナが出珟する。シチリアヌナのリズムがdurで䜿われるのはK.331だけであり、他はmollである。そんなずころから芋お、シチリアヌナは、モヌツァルトがよく䜿ったリズムずは蚀い難い。十字軍の遠埁の時、远われた僧䟶が歌ったず蚀う謂れをも぀シチリアヌナは、ある皮の陰鬱な心理に襲われた時、䜿ったリズムず蚀えないだろうか。

アむンシュタむンらの「パリ・゜ナタ」ずいう考えを螏襲するなら、K.331の第楜章䞻題もたた、陰鬱な心理ずいう芳点から、「母の死」ず関連づければ説明できなくはない。しかし、K.310のような「悲劇的、仮借ない暗黒なもの」は、この゜ナタには存圚しない。K.331の䞀芋陰鬱な䞻題は、バリ゚ヌションの圢を借りお発展し、短調倉奏、アダヌゞョをはさみ、アレグロで終わるずいう「モヌツァルトの倉奏曲のスタむル」を圢成する。䌎奏型に芋る同圢反埩は、単なる響きを厚くし、メロディヌを匕き立たせる為の䌎奏にずどたらない。そしお、随所にバスの保持音が珟れ、メロディヌの衚出を色圩付けるのに効果を䞊げおいる。これらは、巊手の動きに意味をもたせる詊みが始たったずいうこずができる。この詊みは、モヌツァルトが「ポリフォニヌの䜜曲家」ぞず掚移しおいく過皋ず芋おいいだろう。

K.331におけるもう䞀぀の着県点は、䞉床、六床、オクタヌノの動きが散芋されるずころにある。䟋を挙げるなら、第楜章第倉奏小節(譜䟋)、第倉奏、第楜章トリオ62小節譜䟋10等。


モヌツァルトは、1781幎12月24日、ペヌれフⅡ䞖(Joseph II 1741-1790)の前でムヌツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832)ず即興による競挔を行った。クレメンティに関する蚘述を手玙で远っおみよう。

 

手玙①

「さお、クレメンティに぀いお。ヌヌこの人は埋儀なチェンバロ奏者です。ヌヌでもそれだけのこずです。——右手が非垞に巧みに動きたす。ヌヌ圌のみせどころは、䞉床のパッサヌゞュです。ヌヌその他の点では、趣味も感情もたったくありたせんし、たんに機械的に匟くだけです。」モヌツァルトの手玙1782幎月16日付、レオポルド宛Bauer-Deutsch 1962-1963:邊蚳⅀-202

 

手玙②

「さお、クレメンティの゜ナタのこずで、お姉さんに少し話したいこずがありたす。——あの䜜品にはなんの意味もないこずを、挔奏する人も、聎く人も、自分で感じるでしょう。——六床ずオクタヌノのほかには、特に顕著だずか、泚目すべきパッサヌゞュは䜕ひず぀ありたせん。」モヌツァルトの手玙1783幎月日付、レオポルド宛Bauer-Deutsch 1962-1963:邊蚳⅀-376

 

手玙からも解るように、モヌツァルトはクレメンティを「単なる機械屋」ず軜蔑し、酷評しおいるが、䞉床ず六床、オクタヌノに぀いおは、䞀応興味を瀺しおいる。モヌツァルトがクレメンティを、暫くの間、䜕らかの圢で意識しおいたこずは、幎半の歳月が経過した埌の手玙②や、最晩幎のオペラ《魔笛》K.620序曲䞻題に芋られるクレメンティのB-dur゜ナタずの類䌌により譜䟋11、明らかである。

モヌツァルトは、1783/84幎、りィヌンでG.パむゞェッロGiovanni Paisiello 1740-1816のオペラの䞻題を甚いお《哲孊者気取り、たたは星占いたち I filosofi immaginarii, ossia Gli astrologhi》の《䞻よ、幞いあれSalve tu, Domine》による぀の倉奏曲F-dur K.398(416e)を曞いおいる譜䟋12。

このテヌマもたた、䞉床、六床が続く。「哲孊者」ずいう名のもずに、モヌツァルトがクレメンティを痛烈に颚刺した䜜品ずいうこずができよう。K.331においおも、「機械屋」クレメンティずは違い、叙情的な郚分で、クレメンティの埗意ずする䞉床、六床を甚いた点では、完璧な挑戊状である。或いは、自分がクレメンティより優䜍にあるこずを「劇画化」したのかもしれない。この䞉床、六床、オクタヌノの導入は、クレメンティずの競挔埌のものであるこずが刀明した。したがっお、クラノィヌア゜ナタ A-dur K.331は、クレメンティずの競挔埌、すなわち1781幎冬以降にりィヌンで曞かれたず掚枬できる。

この゜ナタをりィヌンの䜜品ずするためのもう䞀぀の裏付けは、「トルコ颚」な䜜颚にある。圓時のペヌロッパ人は、オスマン・トルコずある皋床の緊匵関係を持っおいた。モヌツァルトは、ゞングシュピヌル《埌宮からの誘拐》序曲K.384によっお、トルコの珍しい軍楜隊の響きや、トルコの芁玠を暡倣し、自分の音楜ず融合させたこずは蚀うたでもない。オスマン・トルコは、りィヌン郊倖のカヌレンベルク山の麓たで䟵攻しおきた。情報亀換の埗意な、噂奜きのりィヌン人は、オスマン・トルコは確かに匷いが、瀌儀䜜法をわきたえない狡猟な人皮であるこずを知っおいた。匷いから故、興味がある、芗いお芋たいずいう心理が、トルコの音楜の流行を生み、トルコを舞台ずした《埌宮からの誘拐》をりィヌンで倧成功させたのだず筆者は分析する。筆者はK.331の《アラ・トゥルカ》ず曞かれた第楜章は、オスマントルコ人や、戊争そのものを描写したのではなく、圌等に察する匷烈な「颚刺」であるず解釈する。モヌツァルトは、りィヌン人の感情に蚎える為、挔奏䌚の倚かったりィヌン時代初期、すなわち17821783幎頃、自身の挔奏䌚レパヌトリヌのために䜜曲したず結論づけたい。

 

クラノィヌア゜ナタ第12番 F-dur K.332 (300k)

成立幎代おそらく1783幎、りィヌン、たたはザルツブルクにお

出版1784幎りィヌン、アルタヌリアより。新党集⅚25/2

楜曲構成

Ⅰアレグロ F-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏
Ⅱアダヌゞョ B-dur 分の拍子 二郚圢匏
Ⅲアレグロ・アッサむ F-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏

 

アむンシュタむンは、この゜ナタの空䞭から掎み取られたように開始する第楜章の第䞻題(譜䟋13)の魅力や、ひらめきがひらめきを呌ぶ䜜颚を、「自然性」「必然性」「自立的生長」ず分析し、「モヌツァルトの最も個人的な䜜品の䞀぀」ず結論づけおいるEinstein 1945邊蚳202〜204、337。

開始郚のフレヌズが倧きいこず、倩からの声のように、どこからずもなく音楜が開始する䜜颚は、特筆すべきである。そしお、導入郚においおのこの技法は、埌のベヌトヌノェンのクラノィヌア゜ナタ Op.31-3、Op.101、Op.109、ショパンのバラヌド第番 Op.38、第番 Op.47、第番 Op.52等に圱響を及がしおいくのである。モヌツァルトは、K.332においお、今たでにない新しい技法で、曲の開始郚を䜜曲するずいう境地に立ったのである。この䜜颚は、䜕から受け継いだものであろう。それは、ペハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)からであるず掚枬する。䟋を挙げるなら平均埋Ⅰ、、16、22、23、Ⅱ19、21等の、プレリュヌドの導入の仕方である。

Mollに突然転調する掚移、スタッカヌト衚瀺でありながら゚スプレッシヌノォを芁求される第䞻題、たるで恋人同士の語らいのような展開郚、どれをずっおもモヌツァルトのひらめきは尜きるずころを知らない。しかもそれらの「ひらめき」は、メヌ゚ットのリズムに乗り、そこに蓄積された゚ネルギヌは、さらに激しい音楜を創造する゚ネルギヌぞず倉化する。その゚ネルギヌもたた「自然さ」ずいうベヌルで芆い尜くされるのである。

マンハむム・゜ナタでは、ただ「効果」よりもシュタむン補のハンマヌフリュヌゲルずの出䌚いによる「匷匱を衚珟できる喜び」が前面に出おいたが、この゜ナタにおいおは、ダむナミズム衚珟は、「含み」をもたせる衚珟にず倉わっおいる。我々はそこに、マンハむム・パリ時代より成長したモヌツァルトを芋出す。䟋えば、22小節、衚瀺はないが39小節 、55小節、さらには6065小節、そしお84小節、90小節の  は、すべおニュアンスが異なる。 衚瀺に぀いおも、第䞻題、第䞻題、展開郚ずニュアンスは違う。ここで泚目したいのは、6065小節である譜䟋14。

60〜64小節の  は  に比しお匷く、音楜は自然にクレッシェンドがかかるずころから、65小節の  は、ダむナミズムの頂点を瀺し、続く  は、6065小節たでのフレヌズを受けた  である。さらに、小さいフレヌズの組を考えるず、6066小節はずなり、64小節拍目の  は、少し控え目に挔奏すべきであろう。

もう䞀぀の着県点は、この゜ナタでも、叙情的な郚分での䞉床、オクタヌノの衚珟が目立぀こずである。これらも、クレメンティの意識によるものだろうか。第、楜章には、マンハむム・゜ナタに芋られた、「繊现なもの」ず「倧胆なもの」ずの非統䞀感は、芋圓たらない。挔奏䞊も、窮めお「自然な」感性を芁求される。この曲がパリで䜜曲されたず仮定するなら、曲を支配するフレヌズの倧きい「自然な流れ」は、マンハむム以降、わずか幎の間に身に぀くものであろうかずいう疑問が浮かぶ。K.310におけるような「奇跡」は、䜕回も起こらない。K.332の冒頭郚の䜜颚がセバスチャン・バッハからの圱響によるものずするなら、成立幎代は、ゎットフリヌト・ノァン・スノィヌテン男爵家(Gottfried van Swieten 1733-1803)でのバッハ䜓隓以降、すなわち1782幎以降ずいうこずになる。

ただし筆者は、第楜章に察しおだけは異論がある。シャンペンの泡のように十六分音笊が䞋降し、たた䞊昇線を描いおいくラむンは、窮めお自然であるが、ポゞションが突然倉わるこず、シンフォニックな響き、そしお「匟きにくい」ずいう点から、マンハむムの名残を感じざるを埗ないこずが指摘できる。K.330〜333に関しおは、成立幎代を匂わせるような有力な手玙もなく、想像の域でしかないが、筆者は、たず第楜章だけを「゜ナタ楜章」ずしおマンハむムで䜜曲、第、楜章を1782幎以降りィヌンで䜜曲し、あらかじめ䜜っおおいた、あるいは蚘憶に残しおおいた第楜章を付け、1784幎アルタヌリアから出版したずいう芋解に至った。

ただ成立幎代が確立されおいないK.330K.332たでの぀のクラノィヌア゜ナタは、筆者のピアニストずしおの芳点から芋おも、パリ時代の゜ナタではないずいう根拠があった。では、芏暡が倧きいクラノィヌア゜ナタ B-dur K.333(315c)はどうだろう。

 

クラノィヌア゜ナタ第13番 B-dur K.333 (315c)

成立幎代おそらく1783幎末、リンツ、たたはザルツブルクにお

出版1784幎りィヌン、トッリチェッラより。新党集⅚25/2

楜曲構成

Ⅰアレグロ B-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅱアンダンテ・カンタヌビレ Es-dur 分の拍子 ゜ナタ圢匏 
Ⅲアレグレット・グラツィオヌ゜ B-dur 分の拍子 ゜ナタ・ロンド圢匏

 

第楜章の第1䞻題を芋おみよう(譜䟋15)。

アりフタクトであるから、匷拍は、圓然次の小節の頭に来る。しかし、前打音があるこずにより、匷調したい音は前打音に移動する。ずころが、小節目にも倚音がある。モヌツァルトの䜜品には、アりフタクトが倚い。この゜ナタの導入では、前打音、倚音ず連続するこずから、モヌツァルトがデリケヌトな衚珟を芁求しおいるこずがわかる。第䞻題の動機は、出珟するたびに前打音の圢で忠実に再珟される。挔奏家は、さりげないずころにテヌマのニュアンスを匕き立たせる鍵が朜んでいるため、前打音の衚蚘であれば、聎き手に前打音ず聎こえるように匟かねばならない。第䞻題の動機は、しばしば十六分音笊の途䞭にも出珟する。箇所によっおは、前打音の圢で蚘譜されおいない堎合もある。これは、前打音ず区別させるための蚘譜であろう。この蚘譜は、晩幎の䜜品に芋られる、䞻題の動機を十六分音笊の䞭に「隠す」ずいう手法に繋がらないだろうか。䞻題を十六分音笊の䞭に「隠す」手法は、しばしばセバスチャン・バッハが行うやり方であった。

さらに、50小節から、巊手に半音階が珟れるこずに泚目したい譜䟋16。

曲が発展する途䞭で突然出珟する半音階、これはモヌツァルトの深局心理の描写であるず掚枬する。半音階は、「痛み」を衚珟するず仮定しよう。第楜章では巊手にしか出おこなかった半音階が、第楜章では右手に出珟する53、54小節。楜譜をよく芋るず、展開郚の開始郚分譜䟋17にも、F→is→Gずいう半音階がある。

その埌、巊手にベヌトヌノェンの亀響曲第番《運呜》Op.67を想起させるようなFの連打がある。この連打は回繰り返され、FisをぞおGの連打ず続き、Bたで半音階で䞊っおいく。曲は43小節からAs-durに転じ、珟実に戻る。展開郚で芋た巊手の連打を含む半音階的䞊昇は、母の亡霊ではないだろうか。このように考えた堎合、そこにある半音階は、「痛み」の衚珟であるず掚定できる。

 半音階が散芋されるずころから、K.333は、䞀芋明るく堂々ずした䜜颚の䞭に、モヌツァルトの粟神的な苊悩が埋め蟌たれおいる゜ナタであるず蚀うこずができる。この曲は芏暡も倧きく、厳栌な圢匏のもずに䜜曲され、完成床の高い゜ナタである。そこには、人々の喜び、哀しみが盛り蟌たれ、芪しみやすく、皇垝、貎族、垂民ずいった階局を乗り越え、音楜的な玠逊があっおもなくおも、楜しみ、理解するこずができる䞖界が広がっおいた。このこずは、予玄挔奏䌚の為の、クラノィヌア協奏曲を䜜曲した時に曞いた手玙に䞀臎する。

 

手玙③

-die Concerten sind eben das Mittelding zwischen zu schwer, und zu leicht- sind sehr Brillant- angenehm in die ohren- NatÌrlich, ohne in das leere zu fallen- hie und da- können auch kenner allein satisfaction erhalten- doch so- dass die nicht- kenner damit zufrieden seyn mÌssen, ohne zu wissen warum.

 

「これらの協奏曲は難しすぎず、たた易しすぎず、ちょうどその䞭間的な存圚です。——ずおも茝いおいお——耳に心地よく——自然で、空虚なずころがありたせん。——あちこちに——音楜通の人に満足させるようなパッサヌゞュがありたすが、——けれども——音楜に通じおいない人でも、なぜか満足せずにはいられないように曞かれおいたす。」モヌツァルトの手玙、1782幎12月28日付、レオポルド宛Hildesheimer 1975 : 128 蚳は筆者による

 

手玙③は、モヌツァルトの音楜に察する本質的なものを蚘述しおいるず芋おいいだろう。K.333は、さらに、聎くものにずっお「厳栌な゜ナタ圢匏」をも感じさせないものずなっおいる。「厳栌な圢匏を隠すもの」は、モヌツァルトの「自然性」である。その「自然性」こそ、「モヌツァルト独自のもの」ず蚀っおいいだろう。このような「自然性の確立」ずいう偎面から芋お、K.333をパリ時代の䜜品ずしお䜍眮付けるには無理がある。たた、ペれフ・ハむドン(Joseph Haydn 1732-1809)がオラトリオ《四季》においお完成した、「厳栌な圢匏を感じさせない手法」を孊んだず仮定するなら、K.333が「りィヌンのもの」ずなる幎代は、おのずずわかっおくる。この゜ナタは、モヌツァルトの生掻環境から芋お、りィヌンにお、或いは、「芏暡の倧きさ」ずいう面での亀響曲《リンツ》K.425ずの共通性から、リンツで䜜曲されたず考えるのが自然である。

第楜章はカデンツを持ち、明らかにクラノィヌア協奏曲を圷圿させる。ロンド圢匏でカデンツを持぀こずでは、マンハむム・゜ナタK.311のロンド楜章ず共通性がある。K.311ずK.333が明らかに違う点は、提瀺郚においお、K.333では、小節間クラノィヌア・゜ロ、小節目からオヌケストラずいう、モヌツァルトのクラノィヌア協奏曲におけるフィナヌレのスタむルが確立したずころにある。突然のポゞションの移動もなく、マンハむム・゜ナタのような「匟きにくさ」もない。K.333は、第楜章がピアニスティックな楜章であるずころから、モヌツァルトが、自身のコンサヌトのレパヌトリヌを増やす為に䜜曲したずいうこずもできよう。りィヌンで挔奏䌚が倚かった時期、そしお、「バッハ䜓隓」ずいう双方から芋お、筆者は、17821783幎の間に䜜曲されたずする結論に至った。

 

おわりに

我々は、マンハむム時代の䜜品から、倚䌎なものを取り入れようずするあたり、「䞍自然なもの」を芋出した。パリで䜜曲されたK.310は、マンハむムで優秀なオヌケストラに出䌚ったずころからくるシンフォニックな䜜颚は螏襲されおはいるものの、「母の死」ずいう特殊な環境が䜜り䞊げたものずいうこずが刀明した。モヌツァルトの「パリ時代」は、「母の死」が粟神面に及がした圱響が倧きい。筆者は、その特殊な状況で、K.330K.333の曲が䜜曲されたず考えるのは、粟神的、䜓力的な偎面から難しいずいう結論を持った。さらには、マンハむムの䜜品に芋られる「䞍自然さ」「匟きにくさ」は姿を消し、䞀芋「ホモフォニヌの䜜曲家」ずしおの芁玠が匷く打ち出されおいる。しかし、その䞭に、ノァン・スノィヌテン男爵家で䜓隓した「バッハ的なもの」の存圚を筆者は芋た。K.331に぀いおは、トルコ颚の䜜颚をずったこず、クレメンティずの競挔以降ずしか考えられない䞉床、六床、オクタヌノの叙情的な郚分における「颚刺的な」挿入ずいう、「りィヌンのもの」を明らかにさせる芁玠も刀明した。

ピアニストにずっお楜曲の成立幎代を知る事は、䜜曲家の哲孊芳、人生芳、宗教芳、およびその時代的背景を考える䞊で必芁䞍可欠なこずである。もずもず挔奏家には、感性があり、その「ひらめき」においお、既存の䜜品の成立幎代に疑問を抱くこずがある。そこで我々は、䜜曲技法、䜜颚においお、同時代の他の䜜品ずを比范研究するこずによっお成立幎代の仮定を行う。さらに、その仮定を結論に至らせるため、哲孊芳、人生芳、宗教芳、時代的背景等を考慮する。しかし、K.330K.333たでの曲のクラノィヌア゜ナタにおいおは、珟圚もなお、成立幎代が確定しおいない。今たでの経緯から、孊者たちが成立幎代を結論づけおも、もう䞀぀、裏付けがなかった。そういうずころでは、プラヌトず、タむ゜ンの功瞟は窮めお倧きいものである。

考察の結果、K.330K.333たでの曲のクラノィヌア゜ナタを「パリのもの」ずするには、䞍自然さが吊めなかった。しかし、ケッヘルが掲瀺した幎代配列をもずに、アむンシュタむンらが、長い間「パリのもの」ずしおいた理由は䜕だろう。圌等は、母の死埌わずかヶ月の間に完成した䞭期モヌツァルトの秀䜜を、「連䜜」ずしお考え、「倩才だからできる技」ずしお結論づけたのであろうか。それずも、「䞍自然な成立幎代」ず疑問を持ち぀぀、埌䞖の研究者のために、課題を投げかけたのであろうか。この問いに察しおは、議論の䜙地がある。おそらく、氞久の議論の察象ずなっおいくだろう。

 

䜜品番号衚蚘

ケッヘル番号Köchelは、ケッヘルの『モヌツァルト党䜜品䞻題目録』初版1862幎の番号をK.ず蚘し、最新版第版1964幎で番号に異同があった堎合には、それを 内に瀺した。第版番号しかない䜜品に぀いおは、K6.ず蚘した。

参考文献

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・Mozart, W.A. EigenhÀndiges Werkverzeichnis Faksimile, British Library Stefan Zweig

MS 63, EinfÃŒhrung und Übertragung von Albi Rosenthal und Alan Tyson, BÀrenreiter, 1991

・Mozart,W.A. Kritische Bericht, Serie ⅚ Werkgruppe 25 Klaviersonaten Band 1 und 2,Wolfgang Plath und Wolfgang Rehm, vorgelegt von Wolfgang Rehm, BÀrenteiter,   1998

・Hildesheimer, Wolfgang. Mozart Briefe, Neu ausgewÀhlt, Insel Verlag Frankfurt am Main, 1975

・Bauer, A. Wilhelm und Deutsch Erich Otto. Mozart. Briefe und Aufzeichnungen,

Gesamtausgabe (ⅠⅣ), herausgegeben von der Internationalen Stiftung Mozarteum Salzburg, BÀrenteiter, 19621963 〔海老柀敏、高橋英郎線蚳 『モヌツァルト曞簡党集』党巻 東京癜氎瀟1976〕

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・Einstein, Alfred. Mozart. His Character, His Work, New York, Oxford University Press, 1945 〔浅井真男蚳 『モヌツァルト その人間ず䜜品』 東京癜氎瀟1997〕

・Gay, Peter. Mozart. New York, Penguin Putnam Inc,1999 〔高橋癟合子蚳 『モヌツァルト』 東京岩波曞店2002〕

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・吉田秀和、高橋英郎線 『モヌツァルト頌』 東京癜氎瀟1995

 

楜 譜

・Bach, J.S. Das Wohltemperierte Klavier: BandⅠ,Ⅱ, Wiener Urtext Edition,1983

・Bach, J.S. Inventionen und Sinphonien, Wiener Urtext Edition,1973

・Mozart, W.A. Klaviersonaten: BandⅠ,Ⅱ, Wiener Urtext Edition,1973

・Mozart, W.A. Neue Ausgabe SÀmtlicher Werke, BÀrenreiter1954-1991

初出『音楜文化研究』第号聖埳倧孊人文孊郚音楜文化研究䌚、2003


関連ペヌゞ

・教員玹介原 䜳之
・論文誌『音楜文化研究』


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